2016-04-20

日々雑記 2016 Apr. #2

11日(月)

本日の晩飯は、麩家の炊き込みごはんの最高峰に位置する「しいたけ飯」。


わりと評判がよろしいので、つくりかたを再掲しておこう。

材料: 干ししいたけ、ちりめんじゃこ、米、酒、しょうゆ、水。ちりめんじゃこは多いほうがうまい。

1.干ししいたけを水で戻して 5mm 程度の厚さに切り、戻し汁と酒・しょうゆで煮しめておく。ちりめんじゃこは水に漬ける。



2.洗ってざるに上げてしばらくおいた米を鍋なり炊飯器なりに入れ、ちりめんじゃこの水を切って加え混ぜ、漬け汁が米と同量になるように水を足して、注ぎ入れる。



3.しいたけの煮しめを乗せて蓋をして炊く。乗せるだけで、混ぜてはいけない。



4.炊き上がったら蒸らして混ぜる。(写真は混ぜる前)


冷めてもうまいので、弁当に重宝。


12日(火)

最近塩パンのうまさに開眼した。いろんなお店の塩パンを買って貪り食っている。でも大きな塩の結晶みたいなのが表面にくっついてるのは苦手。噛んだときのあのガリッというのがちょっとダメなので、払い落として食っている。なんか間違っている気がする。


13日(水)

晩飯は、麻婆豆腐のようなもの。


ひき肉っぽいものは、一昨日のしいたけ飯で使わなかった干ししいたけの軸、しめじ、高野豆腐のそぼろ。ビールが非常に進むのである。


14日(木)

今日不覚にも鞄に本を入れ忘れた。通勤電車は激しい(それはもう)妄想でしのぎ、昼休みに書店へ。カースン・マッカラーズ『結婚式のメンバー』新訳(村上春樹 訳 新潮文庫)を買う。

結婚式のメンバー (新潮文庫)
カーソン マッカラーズ Carson McCullers
4102042024

原書、前訳書2冊と本書とで、都合4冊うちにあることになるが、加島祥造訳の福武文庫は友人に貸しパクられ(タイトルが『夏の黄昏』だった)、渥美昭夫訳の単行本は行方不明……
そういえばわたしは、マッカラーズ で卒論を書くつもりだったけど、やめておいたほうがいいと指導教授にやんわりいわれたのだった。読むには面白いが、なにか書くとなると難しいと。ちゃんと書き上げて卒業することを優先してくださったのだな。まあ、そのあと入院(注: 大学院に進むことを一部ではこういうのだが、院生を「患者」とはいわない)してしまったのだが。

夜、九州で大きな地震。心配だけど、いま自分にできることはない。普通に生活して、わずかでも寄付しよう。現地にはやく日常が戻りますように。


15日(金)

某所で今年度の初仕事。去年と同じように家を出たら、わたしに断りもなくJRのダイヤ改正が行われており、あやうく遅刻するところであった。来週からは、20分早く 家を出ないといけない。しかし到着時間は同じ。なぜなら最寄り駅から出るバスの時間は去年と変わらないから。電車は1時間に2本、駅からのバスは1日7本……まあ、多少電車が遅れてもバスには乗れる可能性が大きくなったと思えば……いや、でもなんか釈然としない。

帰宅後、アボ子(1さい10かげつ)を棒にした。


生きろ!


16日(土)

職場の近所の公園の八重桜が満開。


天気のよい土曜の午後とて、公園にも道にも人がいっぱいで、こうしか撮れなかった。紅手毬という種類だと思う。風が吹くと、重たげな花の塊がゆっさゆっさと揺れるのが壮観。

いま通勤時に読んでいるのは、オスカー・ワイルド『カンタヴィルの幽霊 / スフィンクス』(南條竹則 訳 光文社古典新訳文庫)。

カンタヴィルの幽霊/スフィンクス (光文社古典新訳文庫)
ワイルド 南條 竹則
4334753213

「カンタヴィルの幽霊」がめちゃくちゃ面白い。もう腹抱えて笑ってしまった。300年このかた屋敷を訪れる者を恐怖のどん底に叩き込んできた幽霊も、修復しても修復しても「ピンカートンの優等染み抜き」と「模範洗剤」(このネーミング!)で床の血の染みを拭き取ってしまったり、手枷足枷をつけた恐ろしい姿で現われようと、錆びた鎖の音がうるさいからと「タマニー旭日潤滑油」を手渡してきたりするアメリカ人一家の前には赤子も同然。まあ、最後ちょっとほろっとさせるのだけど。

帰宅して、室内暮らしで徒長した多肉たちを切戻し、植え替えのためにサボ子を引っこ抜く。根の状態があまりよくないように見えて、ちょっと心配。


17日(日)

もらいもんのiPhoneで撮った昨日の桜、人のあまりいない早朝にカメラ持っていって撮ろうかなと思っていたら、雨。まあ雨なら雨で、撮りようはあるんだけど、なんとなく引きこもっていたい気分なので、家を出るのはやめにした。それより植え替えのために引っこ抜いたサボ子が心配だ。


19日(火)

終業後、職場近くの、値段の割には質がよい野菜を扱うスーパーに寄ると、「周年祭」なんてのをやっていた。が、とくにいつもとちがうものを買うでもなく、ごぼう、にんじん、きのこ類、豆腐、乾物などを買う。1,000円以上の買い物でイタリアンパセリかバジルの苗をプレゼントするというので、イタリアンパセリの苗をもらって帰る。

帰宅して、サボテンを新しい土に植え、挿し穂にした多肉を挿し、残った葉をばら播く。もう少し乾かしたほうがいいかもしれないが、なんかこう、苗をもらった勢いでやってしまった。テンションがおかしい。春だから。ららら。



そのあと、ごぼうを一気にやっつける。独居中年家庭では、ごぼうは食べたいときに食べたいだけ、なんてやっていては、すぐにスカスカになってしまうのだ。


まずはたわしで洗い、叩き割り、ささがき、乱切りなど、用途に合わせて切ったものを水にさらす(さらさなくてもいいと思うけど、すぐ調理できないものもあるので)。

保存食づくり。しょうゆ、酢、酒(3:2:1の割合)砂糖(お好みの量)を合わせ、種を抜いて小口切りにした鷹の爪を加えた漬け汁を準備しておく。叩き割りごぼうをゆで、水気を切って熱いうちに漬け汁に入れ、粗熱がとれたら煎り胡麻を加える。


胡麻酢漬け。


保存食その2。フライパンに油をひき、ささがきごぼうを炒める(今回は、炒まったら別の料理用にすこし取り分けておく)。ちりめんじゃこ、もどしたひじきを加えて炒め、酒、みりん、しょうゆで味をつけ、煎り胡麻を加え、ごま油を少々たらして混ぜ、火を止める。


 じゃこひじきごぼう(ひねりもなにもないネーミングだ)。にんじんを入れてもよし。これも冷めたら密閉容器で保存。


明日の弁当のおかずづくり。切って塩でもみ、ゆがいておいたこんにゃくと、乱切りにしたごぼうをごま油で炒め、砂糖を加えて混ぜ、砂糖が溶けたら酒としょうゆ(薄めの味つけになる量)を注いで炒め、水をひたひたに加えて煮る。水気が少なくなったら味噌を加え混ぜ、火を止めて七味とうがらしを振り、混ぜる。


ごぼうとこんにゃくの味噌煮。(写真は七味前)


そして本日食べるもの。取り分けておいた炒めごぼうに、ツナを加え、マヨネーズと黒胡椒で和える。


玉ねぎを入れてもうまいが、切れていたのでなし。かわりに(?)戻しすぎたひじきを加えた。サンドウィッチにしてもよいし、水煮の豆などあれば加えてもよい。


20日(水)

まだ水曜だというのにすでに疲れているので、ビール飲んじゃえ、とビールを買いに行った。帰り道、わたしのすぐ前をあるいている若女子が、イヤフォンで何か聴きながら熱唱していた。人通りのあまりない道なので、後ろに人がいるのに気づいてないんだろうなと思い、足をはやめて追い抜いたけど、彼女、そのままの声量で熱唱を続けてた。そうですか。余計な気をまわしてすみませんでした。

昨日のごぼうがあるし、アボカドが熟れたし、アテには不自由しない。


アボカド納豆うめー。

2016-04-11

日々雑記 2016 Apr. #1

1日(金)

わたしは日頃くだらないことばかり考えているのだが、今日ふと湧いた疑問は、「絶対音感のある人が、任意の旋律に、対応する音とは違う音名を歌詞としてつけて(例えば「ドレミファソ」という音の並びに「ソドファミラ」という歌詞をつ けて)歌ったらどんな感じだろうか」というものだった。友人のピアニストに今度会ったとき聞いてみようかと思ったが、殴られそうな気がものすごくする。しかもその場合、手は商売道具だからそんなくだらないことのために使ってなるかと、なにか手近な堅いもの(譜面台など)で殴られることであろうということがシミュレートできたわたしの危機管理能力は高いといわざるを得ない。安心である。とか満足していたら友人から電話がかかってきて思い出した。文博に映画を観にいく約束していたのを、完璧に忘れていた。危機管理能力は高くともスケジュール管理能力は著しく低いといわざるを得ない。ああ、お互い学生のころ観たにもかかわらず、ふたりとも粗筋を読 んでも内容が一向に思い出せないので、ホントに観たのかどうか確認しようとしていた成瀬巳喜男監督『妻よ薔薇のやうに』、観逃してしまったなあ。

嘘をつくのは嫌いだけど、ホラを吹くのは好きなわたしが「嘘」は罪で「ホラ」は愛なのだ、という認識に至った過去記事を再掲した。(→ 4月1日スペシャル 【Archives】 「国宝」「ホラなんですけど」


3日(日)

休日である。午前はゆるゆると過ごすとして、午後どうしよう。部屋の片付けをするか、ノビルを掘りに行くか……いや、ノビル掘りに行こうにも、移植ゴテの行方がわからないので、必然的に物置の片づけが先…… いや、ウチそもそも移植ゴテなかったんじゃね?(ベランダ園芸作業は100均で 買ったスプーンでやってるのだった)……ということで、もろもろ片づけることにする。

片づけの休憩中、クラシック専門インターネットラジオ局 Ottava の番組を聴く。カフカの翻訳者、頭木弘樹さんが出演されている。「変身」についてのお話で、「人間は[実際には]虫にはならないけど、虫みたいになることはある」という言葉が頭に残る。


4日(月)

 おかしい…昨日一日がかりで、処分する本を選別してダンボール箱2箱に詰め、処分はできないけどめったに見ない本を1箱分押入れ行きにしたはずなのに、改善しているようにはまったく見えない。


そして探索中のエイモス・チュツオーラ『薬草まじない』はみつからない……


5日(火)

 昼休み、ぶらぶら歩いた路地の枝垂桜。


カメラは持っていなかったので、例のもらいもんの iPhone で撮影。

桜にかぎらず、花は不思議で貴い。剪定した年には花を咲かせない木もある。植物にとって、花を咲かせるのは一大事なんだろうなと思う。


6日(水)

休日。海はないけど、素晴らしい川のあるところへ行ってきた。


いいねえ。


8日(金)

出かける予定だったけど、あまりに体がしんどいので休むことにする。

昼飯のために買い出しに行くのもしんどいので、食糧備蓄棚をゴソゴソ探していて、大豆水煮(賞味期限切れ)とミックス豆パック(賞味期限切れ)を見つけた。これら及び冷蔵庫内のちょっと怪しげな自家製なめたけは、カレーにしてしまえば救済できるはず。


救済した。つけあわせはにんじんと干しぶどうと煎りごまの塩もみライム汁かけ、ミニトマトの酢漬け。

午後、避寒のために室内に収容されていた植物たちをベランダに帰す作業。室内に置いておくと、どうしてもほこりがついてしまうので、汚れてしまった植物たちにじょうろでじゃあじゃあ水をかけて洗ってやる。サボテンを洗っていて手を刺された(サボテンは悪くない)。

ベランダ難民たちを全員ベランダに帰し、部屋を広くした余勢を駆って、食料の備蓄の点検・整理をしていたら、前回伊勢に行った際に土産に買った乾燥めかぶ が出てきたので食べてみようと思うが、どれくらいの量を戻したらいいのか皆目見当がつかない。ふえるわかめちゃん級のふえ方をするのだろうか。つーことで、ふえるわかめちゃん並みにふえたとしてもなんとか食べられそうな量(大さじ1杯分程度?)で試してみる。


 これが


こう。まあ、めちゃくちゃふえる感じでは、ない。


10日(日)

春の18きっぷ旅最終回。様々なアクシデントに見舞われながら、行くと必ず猫に会えるところに行ってきた。


あたたかくなりましたね。

2016-04-01

4月1日スペシャル 【Archives】 「国宝」「ホラなんですけど」








テーマ:雑記

先日、大阪の国立文楽劇場に、文楽初春公演を観に行った。

文楽を観るのを年に何度かの楽しみにしている。なかでもやっぱり近松ものが好き。はじめて観たのが『曽根崎心中』で、お初を遣ったのは吉田蓑助さん、切は竹本住大夫さん。人間国宝ふたり。これで文楽沼にはまり込んでしまったのだった。

今回は『義経千本桜』「道行初音旅」「河連法眼館の段」。狐忠信を遣うのは桐竹勘十郎さん。国宝級の人形遣いさんだと思う。勘十郎さん=狐忠信、舞台狭しと、走る走る。舞踊あり、早変わりあり、最後は……これはいわない方がいいのかな、とにかく華やかで、趣向たっぷり、 新春にふさわしい。客席大盛り上がり。今回2列目で観られたので、舞台の仕掛けの部分も見えたのが新鮮だった。あたりまえのことだけど、あんなすごいこと(素人の感想)をこともなげにやってしまうなんて、ものすごい稽古量なんだろうなあ、プロだなあと、見惚れてしまった。


もう一つの演目は『壺坂観音霊験記』。これも新春にふさわしく、夫婦の愛と救いの物語。そのなかにも笑いあり。目が見えるようになった沢市が、女房のお里に
「はじめてお目にかかります」って。いや、そりゃそうだけど。
 
さて、今回のタイトル「国宝」は、上記とはまったく関係ない(ないんかい)。
 
観劇前のこと。文楽の友と劇場へ向かった。
はやめに着いたので、その辺歩いてようか、と近くの生國魂神社へ。裏参道から入ったところには井原西鶴の坐像があり、その前になぜか鏡餅(特小)が供えてある。その中心部からは竹串っぽいものが飛び出している。たぶんみかんを固定していたものと思われる。しかしみかんがない。ハトがしきりにその あたりの地面をつついているが、まさか君じゃないよな。ハトがとったのなら、餅が転げているだろう……人、かな、やっぱり……ちょっと動揺しつつ神社内をぶらぶらして、表参道のほうへ行くと、 門前でガラクタ市をやっていた。見てみたけれども、特に欲しいものはない。そろそろ時間だし、と歩き始めた先の一角に人だかりがしていたので覗いてみたら、せりをやっていた。パイプ椅子に座ったおっちゃんが、茶色っぽい皿を取り出して、ぐるりと取り巻く皆さんに見せ、おもむろにこういった。

「これね、国宝」

うそつけーっ! ほんで「500円から」って!

結果がものすご~~く知りたかったし、「国宝」出したあとにどんな飛び道具出してくるかめちゃめちゃ見たかったんだけど、開場時間が迫っており、泣く泣くその場を後にした。

大阪って、近隣の府県とはなにか大きく違ったところがあって、こういう言ってるほうも聞いてるほうも、お互いぜんぜんホントだと信じてない感じ、まさに大阪的ですごくいいな、なんて兵庫出身、京都在住のわたしは思うのだ。そういえば、むかし天神祭の屋台で焼きソーセージ売ってて、看板にでかでかと「本場バイエルンの味」って書いてあるのを見たなあ。単に伊〇ハムの「バイ〇ルン」って製品焼いてただけなんじゃないかと大いに思う。そして、だれひとりとして、それが本場バイエルンの味だとは信じていないだろうとも。


2016年の追記:

参考写真


生國魂さんで、この記事の翌年(2013年)に撮ったもの。やはり「本場ドイツの風味!」。そしてお隣のいか焼はげそとか身とかの串焼き。「大阪名物」でみんながイメージするのは、たぶん違うものだと思うのだけど。




テーマ:雑記
 
思っていることがすぐ顔に出る。おかげで嘘をつくとすぐにばれる。だからしょうもない嘘はつかないことにしている。そのかわりといってはなんだが、ホラを吹く。すぐにつっこんでもらえるように。
ところがこれがすんなり信じられてしまうことが多い。信じた人の証言によると、あまりにも自然に聞こえるので信じてしまうのだそうだ。わたしのホラはネタとして準備することはなくて、話の流れで咄嗟に出てくるものなので、自然に聞こえてしまうのだろうか。あと、突拍子もなさすぎるホラに対しては、「コレは怪しいぞ、用心用心」メーターが振り切れて機能しなくなるのではないかとにらんでいるのだが、どうだろう。以下実例を挙げよう。


例1.

遠くに住んでいる友人が電話してきて、こちらに仕事で来るという。じゃあ会おうか、ということになったが、2年ぶりに会うわけだし、待ち合わせ場所がけっこう人通りの多いところなので、すぐ見つけられるかどうか不安だといわれ。

わたし:「あ、大丈夫大丈夫、いま身長198センチになってるし、アタマ緑色になってるから、どっからでも見つけられる」
友人: 「あっ、ほんなら安心やな!」

伸びるか、30過ぎて!


例2.

以前、理由あって母が何度かテレビに出たことがあるのだが、その話をしていて。

わたし:「昨日母がテレビに出たんですよ」
同僚: 「えっ、何の番組?」
わたし:「皇室関係の番組なんですけど」(注:ここまではホント)
同僚: 「ええっ? なんで!?」
わたし:「うち、宮家なんです」
同僚: 「え~、そうやったんやあ!」

信じるな、そんなこと!

まあ騙された人を騙されっぱなしにはしないのがポリシー。「宮家」を信じちゃった同僚には即座に「嘘にきまってるでしょう、信じますか、そんなん」といっておく。彼は捨て犬のような目をしてこっちを見ていた。
「え、信じました?」というと、
「……うん」と彼。
反省。彼はわたしのホラに何度かひっかかっているが、そのせいでホントの話をしても疑われるようになった。
「もうここに狼が来て、狼だ~!って叫んでも、だれも信じてくれないでしょうね」というと、「目の前で食いつかれててもな」とのお言葉。その後しばらくは「有栖川宮家の麩之介さん」(古っ)と呼ばれた。


それにしてもこの「宮家」、なんか面白かったので、後日4~5人に試してみたら、全員信じた。
これ、もしかして、わたしが思っているほど大ボラじゃなく微妙すぎたのだろうか。やはり「国宝」級じゃないとダメなのか。それとも、ありそうな話だと思われるほど、わたしが高貴に見えるのだろうか。ええわかってます、それはないです、ごめんなさい


2016年の追記:

「嘘」と「ホラ」はどう違うのかということについて、わたしはそれらには明確な違いがあると考えて使い分けている。自分を守ろうとしたり、誰かを陥れようとする目的で事実と違うことをいうなど、それによって利益 / 不利益が生じるものが「嘘」、事実と違うことをいうことで、だれも得したり損したりしない、だれも傷ついたりしないようなものが「ホラ」。相手に信じ込ませよう、相手を騙そうとするのが「嘘」、相手が信じようが信じまいがどうでもよくて(むしろすぐにバレてほしい)、相手を楽しませようとするのが「ホラ」。まあ、この区別が正しいかどうかは知らないが、わたしの解釈では、「嘘」は罪であり、「ホラ」は愛である。