2016-04-01

4月1日スペシャル 【Archives】 「国宝」「ホラなんですけど」








テーマ:雑記

先日、大阪の国立文楽劇場に、文楽初春公演を観に行った。

文楽を観るのを年に何度かの楽しみにしている。なかでもやっぱり近松ものが好き。はじめて観たのが『曽根崎心中』で、お初を遣ったのは吉田蓑助さん、切は竹本住大夫さん。人間国宝ふたり。これで文楽沼にはまり込んでしまったのだった。

今回は『義経千本桜』「道行初音旅」「河連法眼館の段」。狐忠信を遣うのは桐竹勘十郎さん。国宝級の人形遣いさんだと思う。勘十郎さん=狐忠信、舞台狭しと、走る走る。舞踊あり、早変わりあり、最後は……これはいわない方がいいのかな、とにかく華やかで、趣向たっぷり、 新春にふさわしい。客席大盛り上がり。今回2列目で観られたので、舞台の仕掛けの部分も見えたのが新鮮だった。あたりまえのことだけど、あんなすごいこと(素人の感想)をこともなげにやってしまうなんて、ものすごい稽古量なんだろうなあ、プロだなあと、見惚れてしまった。


もう一つの演目は『壺坂観音霊験記』。これも新春にふさわしく、夫婦の愛と救いの物語。そのなかにも笑いあり。目が見えるようになった沢市が、女房のお里に
「はじめてお目にかかります」って。いや、そりゃそうだけど。
 
さて、今回のタイトル「国宝」は、上記とはまったく関係ない(ないんかい)。
 
観劇前のこと。文楽の友と劇場へ向かった。
はやめに着いたので、その辺歩いてようか、と近くの生國魂神社へ。裏参道から入ったところには井原西鶴の坐像があり、その前になぜか鏡餅(特小)が供えてある。その中心部からは竹串っぽいものが飛び出している。たぶんみかんを固定していたものと思われる。しかしみかんがない。ハトがしきりにその あたりの地面をつついているが、まさか君じゃないよな。ハトがとったのなら、餅が転げているだろう……人、かな、やっぱり……ちょっと動揺しつつ神社内をぶらぶらして、表参道のほうへ行くと、 門前でガラクタ市をやっていた。見てみたけれども、特に欲しいものはない。そろそろ時間だし、と歩き始めた先の一角に人だかりがしていたので覗いてみたら、せりをやっていた。パイプ椅子に座ったおっちゃんが、茶色っぽい皿を取り出して、ぐるりと取り巻く皆さんに見せ、おもむろにこういった。

「これね、国宝」

うそつけーっ! ほんで「500円から」って!

結果がものすご~~く知りたかったし、「国宝」出したあとにどんな飛び道具出してくるかめちゃめちゃ見たかったんだけど、開場時間が迫っており、泣く泣くその場を後にした。

大阪って、近隣の府県とはなにか大きく違ったところがあって、こういう言ってるほうも聞いてるほうも、お互いぜんぜんホントだと信じてない感じ、まさに大阪的ですごくいいな、なんて兵庫出身、京都在住のわたしは思うのだ。そういえば、むかし天神祭の屋台で焼きソーセージ売ってて、看板にでかでかと「本場バイエルンの味」って書いてあるのを見たなあ。単に伊〇ハムの「バイ〇ルン」って製品焼いてただけなんじゃないかと大いに思う。そして、だれひとりとして、それが本場バイエルンの味だとは信じていないだろうとも。


2016年の追記:

参考写真


生國魂さんで、この記事の翌年(2013年)に撮ったもの。やはり「本場ドイツの風味!」。そしてお隣のいか焼はげそとか身とかの串焼き。「大阪名物」でみんながイメージするのは、たぶん違うものだと思うのだけど。




テーマ:雑記
 
思っていることがすぐ顔に出る。おかげで嘘をつくとすぐにばれる。だからしょうもない嘘はつかないことにしている。そのかわりといってはなんだが、ホラを吹く。すぐにつっこんでもらえるように。
ところがこれがすんなり信じられてしまうことが多い。信じた人の証言によると、あまりにも自然に聞こえるので信じてしまうのだそうだ。わたしのホラはネタとして準備することはなくて、話の流れで咄嗟に出てくるものなので、自然に聞こえてしまうのだろうか。あと、突拍子もなさすぎるホラに対しては、「コレは怪しいぞ、用心用心」メーターが振り切れて機能しなくなるのではないかとにらんでいるのだが、どうだろう。以下実例を挙げよう。


例1.

遠くに住んでいる友人が電話してきて、こちらに仕事で来るという。じゃあ会おうか、ということになったが、2年ぶりに会うわけだし、待ち合わせ場所がけっこう人通りの多いところなので、すぐ見つけられるかどうか不安だといわれ。

わたし:「あ、大丈夫大丈夫、いま身長198センチになってるし、アタマ緑色になってるから、どっからでも見つけられる」
友人: 「あっ、ほんなら安心やな!」

伸びるか、30過ぎて!


例2.

以前、理由あって母が何度かテレビに出たことがあるのだが、その話をしていて。

わたし:「昨日母がテレビに出たんですよ」
同僚: 「えっ、何の番組?」
わたし:「皇室関係の番組なんですけど」(注:ここまではホント)
同僚: 「ええっ? なんで!?」
わたし:「うち、宮家なんです」
同僚: 「え~、そうやったんやあ!」

信じるな、そんなこと!

まあ騙された人を騙されっぱなしにはしないのがポリシー。「宮家」を信じちゃった同僚には即座に「嘘にきまってるでしょう、信じますか、そんなん」といっておく。彼は捨て犬のような目をしてこっちを見ていた。
「え、信じました?」というと、
「……うん」と彼。
反省。彼はわたしのホラに何度かひっかかっているが、そのせいでホントの話をしても疑われるようになった。
「もうここに狼が来て、狼だ~!って叫んでも、だれも信じてくれないでしょうね」というと、「目の前で食いつかれててもな」とのお言葉。その後しばらくは「有栖川宮家の麩之介さん」(古っ)と呼ばれた。


それにしてもこの「宮家」、なんか面白かったので、後日4~5人に試してみたら、全員信じた。
これ、もしかして、わたしが思っているほど大ボラじゃなく微妙すぎたのだろうか。やはり「国宝」級じゃないとダメなのか。それとも、ありそうな話だと思われるほど、わたしが高貴に見えるのだろうか。ええわかってます、それはないです、ごめんなさい


2016年の追記:

「嘘」と「ホラ」はどう違うのかということについて、わたしはそれらには明確な違いがあると考えて使い分けている。自分を守ろうとしたり、誰かを陥れようとする目的で事実と違うことをいうなど、それによって利益 / 不利益が生じるものが「嘘」、事実と違うことをいうことで、だれも得したり損したりしない、だれも傷ついたりしないようなものが「ホラ」。相手に信じ込ませよう、相手を騙そうとするのが「嘘」、相手が信じようが信じまいがどうでもよくて(むしろすぐにバレてほしい)、相手を楽しませようとするのが「ホラ」。まあ、この区別が正しいかどうかは知らないが、わたしの解釈では、「嘘」は罪であり、「ホラ」は愛である。

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