2017-09-10

日々雑記 2017 Sep. #1

1日(金)

下呂温泉の入湯回数券「湯めぐり手形」があと2回分残っているので行ってきた。


2日(土)

今日は残っている仕事を片づけ、残っているナマモノを片づけて帰省する予定。そう、仕事が残っているというのに、放り出して温泉に行っていたというわけだ。後悔はしていない。あとがたいへんになるというだけだ。だけなのだが、それが思ったよりもたいへんだった。後悔はしていないが反省はしている。ほんのすこしだが実家に持ち込むことに。

ま、とにかく朝めし。


帰省前ナマモノ消費できるかなチャレンジ、1食目はピーマン焼きそば。ピーマン4個使用。




帰省前ナマモノ消費できるかなチャレンジ、2食目はにんじん焼きそばカレー風味。


3日(日)

朝食後、自室で寝転んで塚本邦雄『十二神将変』の続きを読んでいたら、父のいる部屋から妙な音楽が聞こえてきた。なんか無声映画の劇伴みたいなの。同じフレーズが何度も出てくる単純な曲。動画の編集でもしているのだろうか、途中で止まったり戻ったりするので、音がしていてもしていなくても気になってしようがない。そのうちに完全に止まったが、それはそれで脳内エンドレス再生が始まってしまうので、問題は未解決にとどまり非常に難儀なことである。

昨夜帰省して、出された食事を出されただけ食べるという夢のような生活を送っているわけなのだが、どうも毎食後、食べ過ぎた感が半端ない。思うにわたしが家を出たちょうどその頃というのが、我が人生において最も大食らいの時期だったわけで、わたしの膳はその当時の感覚にもとづいて盛りつけられているのではあるまいか。まあ出されたら出されただけ、米粒ひとつ残さず食う方もどうかしているわけだが。


4日(月)

この日の日記は長編化したので独立させた。( → 「尽日尋秋――ある日の植物散歩」 )


5日(火)

おはようアサガオ。


今日は出石へ、蕎麦と寺と風呂を求めて行くのである。

昼前に着いた。出石のシンボル「辰鼓楼」は


工事中であった。いつ完成するのだろう、とは思ったが腹も減ったので確かめることなく素通りし、目標その1「蕎麦」をば。いつも行く店はお休みで、はじめて入る店で。


わたしは蕎麦は好きだが正直いって味はわからんのでまったくこだわりはない。どこで食べても美味しい美味しいとニコニコ食べている。だから蕎麦の感想は書かない。まあ、つゆの味が好みかそうでないかくらいはあるけど。

蕎麦屋を出たら目標その2「寺」、へ行く前に、一応ここにも行ってみた。


二の丸跡には


なんにもなかった。(知ってた)

さて寺へ。なにかの綿毛の飛ぶなか、あっちこっち寄り道をしつつ。


シオカラトンボがいい色になってる。

ここです。沢庵寺こと圓覚山 宗鏡寺(すきょうじ)。


門を入ってすぐ右手の庭。


コケがみずみずしい。


有名なのは本堂裏手の「鶴亀の庭」で、ここには沢庵禅師お手植えの侘助椿がある。回ってみると、濡れ縁に腰掛けておまんじゅうを食べていたおじさんとおばさんが「座ってください」とすすめてくださった。庭の手入れをされている方々のようだった。遠慮なく腰掛けて庭を見ながら少しお話ししたあと、少し高いところにある沢庵禅師の碑を見たりなんだりしたのだけれども、この時期の名物である血に飢えたヤブ蚊の猛攻凄まじく、歩いていても周りでワンワン唸りを上げて当たってくるので、立ち止まって写真など撮れはしなかったのであった。

宗鏡寺のすぐ近く


達磨が印象的なこちらは願成寺。本堂庭園は豊岡市指定名勝だそうだが、これは帰ってから知った。またいつか。

出石城跡付近では


新鮮ピーマンが激安。中~特大サイズが25個で100円。当然買った。そしてピーマンといちじくを提げ、目標その3「風呂」へ。出石温泉館 乙女の湯(公式HPは こちら )。よいお湯なので、ぜひ。

帰りの車中から見えた出石川には、コウノトリが10羽ばかり佇んでいた。こんな光景はじめて見た。

激安新鮮ピーマンは夕食のおかずに(15個使用)。
麩母作「焼きピーマン」


洗ったピーマンをそのままオーブントースターで焼いて、粗熱がとれたらヘタと種を取り、裂いたもの。醤油をかけていただいた。肉厚でとろりと美味しうございました。

麩作「ピーマン炒り煮」


ヘタと種を取り、縦1cm幅に切ったピーマンを油をひいたフライパンで、ときどき大きく混ぜながら焦げ目がつくまでじっくり焼いて、醤油1:酒1:味醂1:出汁3を合わせたものを注ぎ、3分ほど煮て火を止めてそのまま冷まし、器に盛って花かつおを載せる。まあそんなもんだろという味。


6日(水)

昨日見たコウノトリ御一行様が新聞に載っていた。


朝食後、掃除をする。住んでないので当然だけど、帰省して寝起きしている自室にはモノがほとんどなくて、掃除がめちゃくちゃラク。京都の部屋のモノを減らそうと決意。

姪たちへの貢物


持ってきたものの、会えなかったのでそのまま置いて帰ることにした。 寝る前にテッド・ヒューズ『クジラがクジラになったわけ』(河野一郎 訳 岩波少年文庫)を彼らよりも先に読むことにする。


7日(木)

昨夜半から時折強い雨。



雨ニモ負ケズ。

テッド・ヒューズ『クジラがクジラになったわけ』読み終える。どの民話にも必ずある、動物がどうしてそのような姿になったか、どうしてそのような習性をもつようになったかについてのお話のヒューズ版。詩人の作品らしく、ユーモラスであり、かつ美しいイメージにあふれている。わたしがとくに好きなのは「ミツバチがミツバチになったわけ」。地球の中心部に住む悪魔は、神様のつくる美しい生き物たちが羨ましく、自分でもつくろうとする。しかし地球の真ん中のこと、材料にする粘土もなければ水もない。悲しくて涙をこぼした悪魔は、それが水の代わりになることを発見、金などは溶かしてしまう悪魔の涙でも変質しない宝石を粉にして、涙でそれを捏ね、一千年かけて形を作り、自分の目に燃えている炎で一千年かけてそれを焼き上げ、ようやく小さな生き物の型をつくる。……どうですか美しいではないですか。さて、型はできたものの、自分ではそれに生命を与えられず、悪魔は神様をおだててそれに生命を吹き込んでもらう。地球の中心部で悪魔と暮らすその生き物「ちび助」は、神様の息が吹き込まれているために地上が恋しい。ちび助が悲しいのはそればかりが理由ではなく、その血管を流れているのが悪魔の涙だったから。
涙ほど悲しいものがあるでしょうか? からだ中の血管に悲しさが流れるのを感じながら、ちび助は悪魔の手の上をせかせか動きまわりました。
(p. 121)
ながいながい時間をかけて、宝石と涙でかたちづくられた生き物は、涙がからだ中を巡っているので、悲しい。生の根源の部分にどうしようもなく存在する悲しみの理由として、これほど美しいものをわたしはほかにしらない。

4001140810クジラがクジラになったわけ (岩波少年文庫 (081))
テッド・ヒューズ みやざき ひろかず
岩波書店 2001-04-18by G-Tools


休暇は今日まで。母作の梅干しとらっきょう漬けを持たせてもらい、京都に帰る。


8日(金)

休み明けのボケボケの頭で仕事に。地下鉄の出口のところでビラを配っていたインド料理屋のお兄さんに、輝くような笑顔で「オハヨゴジャイマス」と挨拶されたので、こちらもにっこり笑って、「オハヨゴザイマス」となぜかカタコトで返してしまった。

仕事はまあなんとかこなして、帰りにインド料理屋へ。給仕のお兄さん、「ア、朝ノ」って。覚えられてたよ。これまでに何度か地下鉄出口で挨拶したし、時には「アツイネー」「暑いですねー」とか会話したから覚えられてるんだきっと。カタコトの日本人という覚えられ方はしてないはず(たぶん)。ほうれんそうとじゃがいものカレー&ナン、飲み物はあったかいチャイを注文。


小さいナンをおかわりした。満腹。

塚本邦雄『十二神将変』読み終える。本は薄いがぶっとい中身。香り高く流麗な日本語が織り上げる絢爛たる世界にもう腹いっぱい。酔う。ミステリーに分類されるようだけど、謎解きとかもうどうでもいい、という気分になり、縦横無尽の教養に幻惑され弄ばれる心地が気持ちいいのかなんなのか、もはやよくわからない。十二神将、九曜、茶事等、東洋的な意匠に彩られているが、作中何度か女性の登場人物が擬せられる「巫女」、これは神道の巫女でなくて古代ギリシアのディオニュソスの巫女「マイナス」的なニオイがする。いや、どうだかわからんけど。それにしても自分の教養のなさを思い知った。教養がないどころか、もう、読めない漢字の多いこと。この先何度か読み返すことになるだろうが、勉強せねばな。

4309405002十二神将変 (河出文庫)
塚本 邦雄
河出書房新社 1997-05by G-Tools


9日(土)

朝、にがうりを収穫。


さすがに盛夏のころよりだいぶ小さい。




栗蒸しパン、ヨーグルトに野いちごジャム、バナナ。




薄揚げチリソース、にがうりとたまごの炒めもの、塩蒸しかぼちゃ、きゅうりとわかめの酢のもの、ごはん、たまねぎとわかめの味噌汁。

モノを減らそうと決意したものの、必要だと思ったから買ったモノばかりなので、なかなか難しい。心置きなく捨てられるもの……冷凍庫の死蔵品だな、とパンパンの冷凍庫を開けてみたら、あるわあるわ。なんで1年も前のちりめんじゃこが入っているのか。新しく買うからだな。今後は使い切ってから買う、ということでまずはこいつらを惜しげもなく捨てる。というか惜しんでる場合ではない。あと油抜きして冷凍しておきながら、こまめに使わなかったせいで、もういつのものかわからない薄揚げ。封を切って数か月のさやいんげん。……すごい。ほぼ反省材料しか入ってない。

あとは乾物だな。

午後はベランダの衆の世話。挿しておいた鴨川(御池あたり)産のハッカ。


無事に根がついたようだ。

あらゆるものが死に絶えたプランターに出現した何者か。


全滅したと思っていたシソの生き残りっぽい。

ニガウリの枯れたつるや葉を切ってやっていて、収穫適期の実をひとつ発見。こうして実を青いまま取ろうとする人間の魔の手を逃れ、種を残そうとする戦略なのか……恐ろしい子!

本日の夕空




10日(日)

きのう発見した enfant terrible 。


ほんの少し黄色くなっている。あぶないところであった。




玄米粥に黒ごま、梅干し。

昼めしの買いものに行って見つけ、抗いがたいなにかを感じて購入した。


ちょっと食べてみた。ピリ辛だけど、トムヤムクンではない(が、悪くはない)。




ミニトマトとバジルのカペッリーニ。冷製にはしない。

昨日一日休んだので、今日は仕事する(と宣言でもしないとやらない公算が大)。と仕事に打ち込んでいて、そういやメールをチェックしていなかった、と開けてみると、友人から「いま東京だけど、土産なにがいい?」とのメッセージが。心の準備ができていなかったので某呟き処で皆さまに助けを求めたところ、たくさんのよい品をご提案いただいた。ありがたいことだ。それらはすべてメールで送りつけた。なにが到来するか楽しみだ。

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