2017-02-28

大山崎 散歩 DE マンポ

そろそろ季節が変わってきた気配が濃厚な今日この頃、スギの動向が気になる麩之介です。皆さまいかがお過ごしですか。「種つくらんでも挿し木で増やしてもらえるやろが!」とスギやヒノキを呪ってませんか。わたしは呪ってます。


某日、アサヒビール大山崎山荘美術館に「ロベール・クートラス展」を観に行った帰りのことである。駅まで戻ってきたもののまだ日は高いし、同行者様と喫茶店でも入りますか、などといいつつ観光案内板を何気なく見ていて、


こいつが目にとまりましてね。とまってしまったらもう気になって気になってしょうがない。「マンボ」いうたら「チャッチャチャチャッチャ・うっ!」やないですか。それと「ねじり」のコンビネーションとはいったい何事か。しかも「ゲンジボタル生息地」等と同列に記載されているということは、どう考えても場所や施設の名前。これどういうこと!?とおおいに盛り上がりましてね。とにかく見てみんとわからん、ということでねじりマンボ目指して歩き始めたのであった。

ねじりマンボがいったいなんなのか見当もつかないので、「ひょっとしたらがっかり物件かもしれませんね」「行ってみたらお菓子屋さんだったとか」「あー、きなこの、なんかねじれてるアレのね」などと楽しくおはなししつつ歩いていると、前方からはお土産の紙袋を手に、すっかりできあがっちゃった方々が続々とやってきて、サントリーが近いことをわれわれに教えてくれる。ということはねじりマンボはもうすぐである。いやがうえにも期待が高まる。ところが行けども行けども見つからないままにサントリー前の踏切まで来てしまった。駅からサントリーまで行く途中にあるはずなのに、それらしきもの、なかったですよね、などといってみたものの、「それらしきもの」がどんなものかがそもそもわかっていない。わーわーいうててもらちが明かないので、同行者様がスマホでサクッと検索してくださいましてね……なんということでしょう、これ、「マンボ」ではありませんでした。実は(というより思い込みで間違えていただけなのだが)「マンポ」であること、また「マンポ」とは鉄道や天井川の下を通るための小規模なトンネルであることがここへきて判明。「チャッチャチャチャッチャ」、いっこも関係なかったよ。はは。ここで少し落胆したが(するなよ)、気を取り直して、写真付きで山崎のマンポを紹介されている方の記事を読み、ねじれていないマンポ(ストレートマンポ?)がJR山崎駅から保育園への途上にひとつ、サントリー前に抜けるものがひとつあるということがわかり、そんじゃ駅から保育園に向かってみようではないか、とJR駅へ。われわれを駆りたてるこの執念はいったいなんなのでしょうか。

JR山崎駅前の案内板で、まずはねじれているマンポを探してみる。阪急の駅前の看板と照らし合わせてみるが、ぜんぜん見当たらない。それどころかねじりマンポの周囲の地名や河川名も見当たらない。「あの地図間違うとるんとちゃうか」疑惑が生まれるなど。ともかく保育園に行ってみましょうか。「これですかね」と側溝を覗くなど不毛なことをしつつ、保育園に着いた。マンポは見当たらなかった。

保育園横の緑地公園の周辺案内図を見てもわからない。「これは……地元の人に聞いてみますか」と同行者様、公園のゴミ拾いをしているおじさんに果敢にアタック。

同行者様「この辺に、『マンポ』というものがあるらしいのですがご存知じゃないですか」
おじさん「マンポ?歩数計るやつですか?」
同行者様「いえ、トンネルみたいなもので、駅から保育園に来るのに使われる」
おじさん「そこ幼稚園ですよ」
同行者様「え?」
おじさん「保育園でしたかいな?」(見に行こうとする)
わたし(ちょっと待ってそこはいま問題じゃない)

すれ違いまくる会話の中で、それでもこのあたりの園児が通る「トンネル」を思い出そうとしてくれたおじさん。「そこの公園に、子供が通るトンネルが」……おじさん、それは遊具なのでは。土管みたいな。お礼をいってお別れする。諦めかけたわれわれの前に、散歩途中のご夫婦が。再びのアタック。やはり「マンポ」という名称はご存じないようであったが、道を少し行った先のうどん屋さんのところを曲がってまっすぐ行くとトンネルがあるということを、とても丁寧に教えてくださった。ありがとうございました。

さて教わった通りのうどん屋さんをみつけ、期待に胸膨らませて進むわれわれの前に、それは姿を現した。


これか!


駆け寄るようにして、ばっしばっし写真を撮りまくるわれわれ。地元の人から見たら生活上当たり前にあるものすぎて、なにゆえこのふたりが盛り上がってるのか理解できないこと必定である。不審者確定。

「行きますか!」「はい!」てことで、マンポを通り抜ける。天井はかなり低く、頭をかがめて通らないといけない。入ったあたりはレンガ造りだったのが、途中からコンクリートになっている。(ちなみに「ねじりマンポ」の「ねじり」は、レンガが斜めに積まれており、螺旋を描いているように見えることに由来するのだが、このときはまだそれを知らず、トンネルが曲がっているのではないかなどと考えていたため、このマンポのねじれていない様子を撮影していなかった。不覚)

反対側はこう。


一方の端がアーチ状で、もう一方が四角というのが面白い。どこで変わってたんだろう。ここでも写真をばっしばっし撮りまくっているふたりを、上の通りからふたりのおじさんが怪訝そうに見ていた。やはりか。不審なのか。不審だわな。ところで、抜けた先はサントリー前である。ということは、JRから保育園へのマンポではないということなのだ。

行きしなに通りを間違えたのかもしれないと、すでにマンポにとりつかれたわれわれ、保育園からJR駅へ、ちがう道を通ってみようということで合意した。たぶんどうかしている。

違う道を通ってJR駅に着いた。やはりマンポはなかった。ここで遅まきながら気づいたのだが、保育園から駅までは線路を渡る必要がなかった。ということは、こちら側にはマンポはないということなのでは。なのではではなく、そうだよ。線路の反対側を探すべきではないか。踏切を渡り、反対側の道を線路沿いに歩いてみる。幼稚園が見えた。幼稚園の脇に水が流れていて、階段で降りられるようになっている。


なんのために?と思って降りてみた。

あ。


あった。

「ここです!」と叫んで同行者様を呼ぶ。保育園じゃなくて、幼稚園じゃないか!ある意味あのおじさんが正しかったのか?(それはない)(たぶんない)(きっとない)

通りましょう。


中はこんな感じ。


反対側。ここは徹頭徹尾コンクリートだった。しかしやはり天井は低かった。なんでこんなに低いの?戦国時代の武将の鎧なんか見たらえらいちっちゃくて驚いたりするけど、それとおんなじなの?これらのマンポができたころの平均的な人は、もしかしてここ立って通れたの?

謎がつきない(そうなのか?)マンポであるが、われわれは首尾よく(そうなのか?)ストレートマンポ2件を制覇した。意気揚々と阪急大山崎駅に引き揚げる。そして案内板をまじまじと見る。そして気づく。そもそものはじまりから、「サントリー京都ビール工場」と「サントリー山崎蒸留所」を勘違いして、ねじりマンポのある方向とは逆に歩いていたことに。「地図間違うとるんちゃうか」て、とんだ冤罪である。まことに申し訳ございません。わたしが悪うございました。

あっちこっち歩き回った挙句、当初の目的のねじりマンポを見損ねたことに悔いが残るが、(わたしは)楽しかった。というわけで、次回は「アンドロイド&マンポ」と題して、ねじれているマンポを訪ねる予定です。お楽しみに!


アサヒビール大山崎山荘美術館の次回の展示は「生誕150年記念 漱石と京都―花咲く大山崎山荘」(2017 3/18-5/28)で、4/14-16には「先生5度目の京都訪問が実現!!―漱石アンドロイドが大山崎山荘へ―1915年4月15日の初来訪から102年ぶりに、夏目漱石先生がアサヒビール大山崎山荘美術館にご来館」(チラシより)だそうです。

0 件のコメント:

コメントを投稿