2016-02-29

日々雑記 2016 Feb. #3

21日(日)

すきっ腹を抱えて帰宅、献立を考える気力がなく、某呟き処でお知恵を借りようと、以下のように呟いた。
疲れて帰ってきて冷蔵庫開けたらちくわと古いキャベツとにんじんとしなびたピーマンしかないんだけど、どうしたらいいでしょう? 考える力と買い物に行く気力はありません。あと冷蔵庫の外に芽の出たたまねぎと芽の出たじゃがいもと、車麩があります。
さっそくいくつか案をいただき、キャベツとちくわメインで二品。


野菜とちくわのしょうゆ炒め七味唐辛子たっぷり(ピーマンは冷蔵庫から出してみたら、しなびているというより滅びていたので葬った)、キャベツとちくわの酢味噌和え(からしマヨネーズ和えにしようと思ったけど、腹が減りすぎて粉からしを溶いている時間を惜しんでいたところ、いつか食べたボイルやりいかについていた酢味噌が余っていたのを発見したので、それを使用)。そして黒糖焼酎お湯割り。やさぐれます。


22日(月)

昨夜やさぐれたので、今朝早く起き、今日提出するデータの手直しをしようとしたら、仕事用のパソ子絶不調。 Windows 起動中にフリーズ。いったん強制終了して簡易放電、セーフモードで立ち上げようとするも、ファイル読み込み中にまたしてもフリーズ。その他なにを試しても、ダメ。遊び用のパソ子(おそらく壊れる寸前)は Office がとっくの昔に壊れてしまったので遊び用にしたのであって、使えない……そうこうするうちに家を出ないといけない時間に。仕方ないので先方に事情を説明して納期をちょっとだけ延ばしてもらい、そこでの仕事を済ませて帰宅して、決死の覚悟で(なんでや)パソ子の電源入れたらあっさり立ち上がりやがった。おかげで再開できたけれども、必死の作業中に Windows 様が再起動をご所望される等、容赦なく胃を直撃する展開に力なく笑うなどしつつ、なんとか今日中に送信できた。疲れた。

そんな一日ではあったけど、帰りの電車でなんとなく窓の外を見ていてふと湧いた疑問。 日本語の名前、とくに女性の名前には、B音ではじまるものは少ないのではないか、と思ったんだけど、どうだろう?少ないというか、思いつかない。男性名には「文太」とかあるけど。そう呟いてみたら、皆さんから「吉本ばなな」の名が挙がる挙がる。それ本名じゃないから。そんなこんなで遊んでいたら、恐ろしいサイトをご紹介いただいた。女の子の名前辞書(「ば」の部 → )。マジかこれ。


24日(水)

和泉晴紀『インテリやくざ文さん 2』(鉄人社)読んだ。

インテリやくざ 文さん2
和泉晴紀
4865370463

全体としては1巻のほうが面白いけど(スミマセン)、声あげて笑って、むち打ちするほどうなずいたネタがあって、これ読めただけで儲けものという気分になった。以下ネタバレしてしまうけど、お許しください。「英語が話せると10億人と話せる」から、「これからはやっぱり英語よねー」とかいって子供を幼児英会話教室に通わせている親と一緒に教室を参観している文さん、子供が成長して、英語でペラペラと「昨日めっちゃ怖い夢見てさあ」みたいな会話している様子を頭に浮かべ、「つまんねーやつは10億人につまんねーと思われるだけだな」と切って捨てる。ホンマそれです、うん。


26日(金)

毎週金曜日の早朝に聴いているラジオ番組、先週は機材トラブルかなにかでPCでは聴くことができず、オンエアリストを見て You Tube で検索、オープニング・エンディング曲を含めて、番組でかかっていた曲をオンエア順に再生して楽しみました、と些かパラノ的なことをしていた旨メールしたら、毎週1名様に当たるプレゼントが当選してしまった。うれしい。

朝ごはんはマフィントーストにシュレッドチーズ挟んだのとコーヒー。


昼は缶詰のいわし煮(柚子胡椒風味)がメインおかず。あとはじゃこおろし、大根の皮の塩漬け、ゆでキャベツの食べるラー油和え、わかめの味噌汁。



字が書けるようになった姪1と、顔が描けるようになった姪2から手紙が来た。


うれしい。返事を書かねば。 (だが、なんと?)


27日(土)

仕事帰りに寄ったスーパーで、塩鮭の切り身が半額で買えた。あしたシャケ弁を食べることだけ考えてニコニコしている。


28日(日)

シャケ弁(白ごはん、焼き海苔、焼き塩鮭、ゆでたまご、大根の皮とにんじんのきんぴら、ゆで小松菜、新生姜の甘酢漬け)。暗い。たまごがひしゃげている。


「甘塩」と表記されていたのに、鮭がどう見ても塩辛そうだったので、ゆでたまごには塩をせず、小松菜はゆでただけ、ごはんに敷いた海苔にもしょうゆは付けず。それでも全体的に塩分過多な感じ。

旅に出たい。帰ってこなくていい旅に出たい。しかしそういうわけにもいかないので、せめてそうするつもりで、身の回りを整理しよう。なにもかも捨ててしまいたいが、そうもいかない。「そうもいかない」と思う心を捨ててしまいたい。で、どうする?となると、「心ってなんだ?」にはまって身動きがとれなくなる。身軽になりたい。なんて堂々巡りをこのところよくしている。滅入る。


29日(月)

気が滅入る、と思っていたら、今日は朝から雨だった。頭は痛いし、部屋の片づけははかどらない。

2016-02-20

日々雑記 2016 Feb. #2

12日(金)

あー、朝ごはんに薄めのストレート紅茶と、うっすいうっすいパンケーキ、強めの火で焼いて縁がカリカリなのの焼きたてに、すましバターと砂糖かけて、レモンをぎゅっと絞りかけたの食べたいなあ……といってみたところで、独言のむなしく消え行く侘び住まいかな。しかたなく自分でつくるわけだが、めんどくささの主成分はパンケーキをつくることなので、いっそのことこれでいってやれとトーストを焼き、電子レンジで溶かしたバターと砂糖とポッカレモンをかけてみたところ、ありていに言ってクソまずかったので笑っています。おはようございます。


レモン汁が敗因。(予想はついた筈)

そして、今日は念願の『ジョルジョ・モランディ――終わりなき変奏――』展を観に行ったのだ。


 詳細はいずれまた。


14日(日)

20℃を超える日だというのに、通常通りの装備で出勤。あまりの生暖かさに、職場にひとりなのをいいことに、ヒートテックのアンダーシャツを脱いだ。

余計な仕事が多くて定時に上がれず。明日休みじゃなかったら残して帰れるのに。しかしウチに書類をまわしてくる人たちはアレか、書類をきちんと書いたら死ぬ病にでもかかっているのか。


15日(月)

昨日新鮮な大根を手に入れたので、お昼は大根めしにした。


あられ切りの大根をたくさん、味つけは塩のみ、さっと茹でて絞った葉っぱを細かく切って炊き上がりに混ぜ込んだ。大根が甘くておいしい。


17日(水)

風が強い。朝から鼻水がつるつるつるつると。本当に?本当にアレの飛散量少ない?嘘ついてない?

夕方、ロン・ハワード監督の映画『白鯨との闘い』を観に行ったのだけど、同行者が「国際ハーマン・メルヴィル会議」で研究発表した人物だったりしたので、必要以上に、というか、映画に対するものとはちがう種類の期待にどうしようもなくワクワクしていたのであった。映画は、さすがロン・ハワード、ちゃんとしていていた。破綻がなく、安心して観ていられた。というわけで、映画を観終わっての会話がはずまないこと甚だしい(よろしくない傾向だと思うが)。

研究者 「えっと」
わたし  「はい」
研究者 「どこに帰るかって話のとき、字幕に『ピッツバーグ』って出てたような気がするんですが」
わたし  「出てましたね。"Pittsfield, Massachusetts"っていってましたけどね」

等々、とくに盛り上がらぬ会話に終始。ちなみにピッツバーグはカリフォーニア州なんだけど、それより、ほかの人がどんな感想をもったのかと某呟き処で検索かけてみたら、「『白鯨との闘い』観たら、原作読みたくなって『白鯨』買っちゃいました~!はやくおうちに帰って読みたい!」的なつぶやきを見てしまった。なんでだか猛烈に謝りたくなりま したよ。ごめんね、『白鯨』があんなでごめんね。海に出た途端にあんなでごめんね。「鯨学」とかあってごめんね。それと原作じゃなくてごめんね。……なんでわたしが謝りたくなったのかは、自分でもわからない。

白鯨 上 (岩波文庫)
ハーマン・メルヴィル 八木 敏雄
4003230817


こっちも貼っとこう。

白鯨との闘い (集英社文庫)
ナサニエル フィルブリック Nathaniel Philbrick
408760716X


そうだ、昔撮ったフィルム写真をデータ化したものが入ったUSBメモリがこのほど発見されたので、オマケ。


学生時代、熊野詣をした際に見た看板。大黒柱にスペイン金貨が打ち付けてあったりしたら、叫んで逃げる。


18日(木)

池澤夏樹『双頭の船』読了。震災をテーマにした小説を、はじめて読み通すことができた。読書メーターに書いた感想を転載(ネタバレあり)。
あちらとこちらを行き来する装置である船。この船は乗船を望むものを拒まず受け入れる。人ばかりでなく、動物も。生きているものだけでなく、命を奪われた ものも。取り返しのつかない過去を忘れさせるのでなく、それと折り合いをつけるようにうながし、死んだものたちをあちら側へ、生きているものたちを未来の 方へ渡してやるのがこの船の役割なのだろう。どちらが前でも後ろでもない双頭の船は、過去と未来に等しく向き合っている。この物語が「昔むかし、この半島 は一隻の小さな船だった」と語られる神話となる未来を予感させる結末に希望を見た。
もともとは島嶼間を行き来して人と車を運ぶ、廃船寸前だった小さなフェリーが、被災地のボランティア支援の船となり、乗船する人々の望みをすべて受け入れて、文字通り大きく育っていき、最後に土地となる物語。これは叶えられることを願い、捧げられる祈りだ。

双頭の船 (新潮文庫)
池澤 夏樹
4101318220


19日(金)

昨日つくった紅白なますがまだまだ大量にあったし、バゲットも残っていたので、厚揚げを炒めてスイートチリソースをからめたのを具材にしたバイン・ミー(レバ抜き)と、エスプレッソに牛乳をたっぷり入れたので朝飯。


うまいのだけど、こういうサンドをふつうのバゲットでつくると、食べたときに確実に口の中を何箇所か切ることになるので注意して!

このあと作業中に飲んだストレート紅茶が妙に胃に沁み、ムカムカしたので、これはちょっとヤバい感じがする。

胃がアレなので、昼飯は厚揚げ入りキャベツ丼。


普段は炒めてつくるのだけど、今回は胃への影響を考えて、出汁でやわらかめに煮たのにした。

午後、久しぶりにコーヒー豆を焙煎した。


楽しいんですよ、この作業。いい匂いがして。コーヒーの香りのよさは、豆を煎っているとき>淹れているとき>飲むときの順だと思うんだけど、どうだろう。昔住んでいたアパート(東寺の近所)のすぐ近くにコーヒー豆屋さんがあって、焙煎をはじめるとあたり一帯に芳香がただよったもので、そんなときはもうたまらなくなって、煎りたての豆を買いに行ったのだった。あるとき図書館で、「愉しい非電化」というムックが目に留まり、パラパラめくっていたらこの道具が載っていて、ひと目惚れした。そのときはまだ商品化を検討中ということだったけど、著者の藤村靖之さんのサイト(こちらをどうぞ→ 非電化工房  )で予約しておいて、無事商品化されたもの(コーヒー生豆つきキット)を購入して、アホみたいに煎りまくったのであった。

いまや東急ハンズや密林でも扱っててびっくり。

焙煎器 煎り上手&東ティモール 無農薬・有機コーヒー生豆 (300g)セット フェアトレード
B00IZA0LJW

久しぶりに「非電化製品カタログ」見たら、手回しラジオが「購入可」になってた。コレほしいぞ。

『愉しい非電化』書籍版。

愉しい非電化―エコライフ&スローライフのための
藤村 靖之
4862480357


そして、実は密林で「愉しい非電化」で検索すると、『こんなに楽しいオール電化営業』という、方向性が完璧に逆を向いている本も候補としてあがってくるので、まったく油断も隙もあったものではないのだが、なんだかたのしくもあるのである。

こんなに楽しいオール電化営業 電化セールス初級編
田原 祐子
4902553066


ということで、手回しラジオ購入を検討しつつ、煎りたての豆をミルで挽いた。


香りがたまらん。ちなみにミルはポーレックスのセラミックミル。よくある引き出しのついたクラシックなやつより断然使い勝手がいいし、分解して洗えるのでオススメ。

ポーレックス コーヒーミル
B0002JZCF2

……なんか今回宣伝マンのようだが、この二つの道具、もう10年以上使っているけど、不便だと思ったことない、どころか、いまだにメチャメチャたのしいのだ。そういえば、友人がやってみたいというのでミルを渡して見ていると、ハンドルだけを一所懸命ぐるんぐるん回していたので不憫になり、「ちょっと、本体のほうを、ハンドルと逆方向に動かしてみ」といってやったら、「えっ!? めっちゃラク!」っていってたので驚いた。そう、そういうところが引き出し付きのものにはない使いやすさなのだ。ていうか、気づけ。


「蒸らしている最中に新聞の勧誘襲来」というアクシデントを乗り越えて淹れたコーヒーで、おやつ。シアワセ。(胃は痛い)

2016-02-10

日々雑記 2016 Feb. #1

1日(月)

最近悪夢しか見ない。今日見た夢なんて、フリオ・コルタサルの「誰も悪くない」みたいだった。遅刻しそうなのに、着ようとしているベースボールジャンパー の袖口からどうしても手が出ないで、焦ってぐいぐい押している夢。目が覚めたら、頭が乗っている枕の下に手をぐいぐい押し込んでいるところだった。ちなみにコルタサルの「誰も悪くない」は、どうしてもセーターが着られない話。

遊戯の終わり (岩波文庫)
コルタサル 木村 榮一
4003279026


昼ごはん。


紅白なます、白菜とにんじんの浅漬けは、いただきものを器にうつしただけ、焼き魚もいただきものの塩鮭。ありがたい、ありがたい。

じつは本日誕生日。朝、某呟き処で仲よくしていただいている方からお祝いDMをいただいた。うれしかったもので、「覚えていてくれて、祝ってくれる人がいる。不思議で、ありがたい。ありがとう」と呟いたら、たくさんの人からさらにお祝いのことばをいただいた。こっぱずかしくも、本当にありがたい。それで会話していて思い出したことがある。子供のころ、わたしのうちでは誕生日にケーキはなくて、お寿司が出た。しいたけ、高野豆腐、かんぴょう、にんじんが入っていて、刻んだ紅生姜と錦糸卵ともみ海苔が乗っているお寿司。お祭りのときも同じお寿司で、それはウチのイナカではふつう「ばらずし」と呼ばれるものだけど、我が家では単に「お寿司」と呼んでいた。あるとき親戚のおばちゃんのうちで誕生日を迎えることになった。おばちゃんは「麩之介ちゃん、お昼はばらずしでええか?」と朝早くから準備して、お寿司をつくってくれた。「ばらずし」ということばを聞いたことがなかったわたしは、薔薇が入ったお寿司だろうか、それとも薔薇の形のお寿司だろうか、と想像してわくわくしていた。お昼になり、想像が飽和したわたしの前に出されたのは、薔薇入りでも薔薇形でもない、ふつうの「お寿司」だった。ふくらんだ期待がぺしゃんこになったけど、そんなことより、それでがっかりしてしまったということがおばちゃんに対して申し訳なくて、こんなことをいまだに覚えている。

というわけで(どういうわけかは聞かないで)、今晩の晩酌はコレだ!


ネタフリしていたわけではない(が、そう思われてもしかたがない)。「寿司ネタから酢飯、しょう油、わさび、ガリまで、あらゆるテイストによく合うように」造られたワインだそうだけど、浅漬けだけで1本飲んでしまったわい。ハハハ。


3日(水)

節分なので。


ぱっと見大きさがわかりにくいけど、イワシが乗っている皿は、わたしがよくカレーを食べている皿。右下の椀は普通サイズの汁椀。でっかいイワシを焼いたのをおかずにどんぶり飯を掻っ込むしあわせ。そして魚焼きグリルを洗う憂鬱。このふたつは何故にセットになっているのか。

午後、図書館に出かけ、こないだ飲み屋で盛り上がって開催することになった「中村真一郎『木村蒹葭堂のサロン』グランプリ」の課題本を借りてきた。


 ……「鈍器」という言葉が脳内を去来する。


4日(木)

今日は仕事が終わってから、東洞院の尾張屋さんできつねそば(ここのは刻み甘きつねに青ねぎなのだ)を食べて、京都文化博物館で、山中貞夫監督『丹下左膳余話 百萬両の壺』観てきた。容貌魁偉で滅法腕のたつ浪人丹下左膳が、小さな子供に父親の死をどうしても告げられずにいる様子とか、その子を引き取ったあとの親バカぶりとか、もう最高。それと源三郎役の沢村国太郎の(特に八百長を持ちかける場面の)うまさときたら! それはそうと、「滅法腕のたつ」丹下左膳が人を斬るのは、子供の父親を殺したやくざ者を一瞬で斬り捨てる場面のみ。GHQの指導とかで、立ち回りシーンがごっそり削られているらしいのだけど、どうにも残念。どこかから見つからないものか。


6日(土)

巨大根をいただいたので、しばらく大根を食べて暮らすことになる。どのくらい巨大かというと、直径がこんなだ。


切ってない状態の写真を撮り忘れた。上のほうは刻んで甘酢に漬けて、下のほうはいちょう切りにしてざるに広げて干してある。明日は大根めしにしよう。薄揚げがあるので、一緒に炊き込もう。わたしは大根めしは炊き込みごはんも混ぜごはんも好きなのだけど、ほかの人はどうなのだろうと某呟き処の投票機能でアンケートとってみた。大根めし大根めしと騒いでいたら、ほかの方のつくり方や、残りごはんを大根もちにする方法など、お役立ち情報が得られた。ありがたい。


7日(日)

大根めしを炊いた。大根と薄揚げをだいたい3cm長さの短冊切りにしたのを炊き込んだ。2合半炊きの文化鍋に米2合、大根と薄揚げはふたがぎりぎり閉まる量、昆布出汁と少量の酒を合わせて米と同量、塩小さじ半分に醤油大匙1くらい(適当)。


わかめの味噌汁と、おかずは紅白なます、かぶの葉と薄揚げの煮物(アブラナ科ばかりだ)。つぎはほかの方がつぶやいておられた、「みじん切りより少し大きく切った大根をたくさん、味つけは塩のみで炊いて、仕上がりにさっと塩茹でした葉っぱのみじん切りを混ぜ込んだごはん」をつくってみたい(「はで干しのコシヒカリ」と「お釜で炊き上げる」は無理だけど)。

アンケート集計結果。


なるほど。……汁かけめしを選択肢に入れ忘れた。行儀はよくないけど、おいしいものだ。アサリの剥き身と大根とねぎの味噌汁を白ごはんにかけて、七味唐辛子をふったのなんて、もう何杯でもいけます。

現実(「中村真一郎『木村蒹葭堂のサロン』グランプリ」ともいう)逃避で読み始めた小田雅久仁『本にだって雄と雌があります』、まだ半分も読めてないけど、語り口(上方の話芸の呼吸!)、スピード感、夫婦(家族)愛、知と生への切望等々、ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』と似たニオイがする。すごくいい。

本にだって雄と雌があります (新潮文庫)
小田 雅久仁
4101200211


9日(火)

中村真一郎『木村蒹葭堂のサロン』を中断したまま、というか、いまだ本文の32分の1しか読んでないので、中断どころか取り掛かっていないも同然なんだけれども、相変わらず小田雅久仁『本にだって雄と雌があります』を読んでいる。最後まで読んでないけど、これは傑作(のはず)。本日のハイライト。第二次世界大戦中、無謀で愚劣な転進を強いられ、ボルネオのジャングルで生死の境をさまよう興次郎(語り手の祖父)は、「永遠」である「幸福な写真」を見つめ、嗚咽する
もし世界で最後の人間になった時、誰も見ていないと分かっていても、神すら見ていないのだと知っていても、その人間は泣くのだろうか。きっと泣くのだろう。木の股から一人で生まれて来たのではないから、かつては孤独ではなかったろうから、昔を思って、昔の夢を見て、きっと泣くのだろう。全人類を抱き締めるように、自らの体を抱き締めて、全人類として全人類の涙を流すのだろう。 (pp. 308-309)
興次郎の、書かれなかった日記「No. 19.5」中の一節。前半の上方漫才のようなコテコテのノリ(余談だけど、某所でほかの人の感想を見たら、「前半は読みにくいが、後半は一気に読める」というご意見が多かったのが、最初からノリノリだったわたしには意外だったが、関西ノリに馴染みがないと、こういうのは難しいのかもしれない)はこのあたりでは鳴りをひそめ、たとえ日記を書くだけであろうと、辞書を引いてまでもとことんボケ倒す男が書いた(いや、書いてないのだが)とは思えない哀切さが沁みた。


10日(水)

「キムケンGP」途中経過だが、「第一部 序章 出会いと意図 3 江戸の発見」で止まったまま。通勤に持ち歩く気がしないというのが痛い。だいいちかばんに入らないし(言い訳)。借りてきたときも、ほかの荷物があったとはいえ、かばんに入りきらず、小脇に抱えて帰ってきたのだ。帰りの電車で立ったまま読もうと試みたが、吊革につかまって片手で読んでいたら前腕部に異様な力が入り、腕全体がぶるぶる震えだしたと思うが早いかたちまちその震えは全身にあまねくいきわたり顔は蒼白足はガクガクあまつさえ額からたらーりたらりと脂汗が滴り始めるに至ってこれはイカンと諦め小脇に……申し訳ございません、誇張しました。まあ、かなりしんどかったことは事実。ところでGP参加者の友人から、「大岡春卜のところまで読みました。そちらはどうですか?」というメールが2日前に来ていたりする。ちなみに「大岡春卜のところ」とは「第一部 第一章 誕生と成長 2~4」のどこかで、たかだか52ページまでの部分なのだけど、勝てる気がまったくしない。(本文二段組712ページ二段組712ページ大事なことなので二回いいました)