2015-07-02

【Archives】 風邪っぴき三部作 第二部 「風邪っぴきの読書――武田百合子『富士日記』」

ただいまの体温38度5分、本日わたしの風邪は治癒に向かうというより、別のフェイズに突入した感がありますが、皆さまいかがおすごしですか。健康ってホントにすばらしいですね。
さて、またしても、2012年に他所で書いた記事の再掲です……は、手抜き? いや、エコです。エコ。ですってばよ。 


風邪っぴきの読書―武田百合子『富士日記』 
 

テーマ:本との生活

熱は微熱にまで下がったけど、まだ頭が痛い。そして今回の風邪はめずらしく胃にきた。呼吸器系が弱いのと、食い意地が張っているせい(かどうかはしらないが)で、風邪をひいてもめったにハラには来ないのだが。むかむかすると粒胡椒を3粒ばかりがりがり噛み砕いて飲む。これが一番効くのだ。あとは土瓶で梅干と生姜を煮出した湯をがぶ飲み。考えたらもう20年以上これでしのいでいる。

子供の頃から風邪は二日目がつらいと思っていた。病院で出してもらった薬を飲んでいたころ、かならず二日目に目が真っ赤に充血し、箱ティッシュを一箱使い切るほどの鼻水とくしゃみの嵐に襲われたもので、風邪とはそういう病気なのだと思っていた。中学生のとき、いちど不精して薬を飲まずにいたら、そんな症状は出なかった。今回の風邪は軽くてすんだな、とそのときは思ったが、それ以降風邪をひいても薬を飲まずにいたら、やっぱりそんな症状は出ず、あれは薬のせいだったのか、と知る。

そういうわけで、10年以上風邪は自力(と民間療法)で治してきたが、あるときけっこうひどい風邪をひいて、これはさすがになにかにすがらねば、とふらふら薬局にでかけて、漢方の「銀翹解毒散」とかいうなにやら恐ろしげな名の薬を勧められて飲んだ。漢方が体に合ったのか体質が変わったのか定かではないが、例のアレルギー症状は出なかった。出なかったけど、効いているのやらどうやらよくはわからなかった、というのもまた事実。薬を飲もうが飲むまいが、治るまでに かかる時間は変わらないような気がするので、わたしにとって薬は気休めである。

今回も、気休めに漢方薬をたいへん楽しい薬局(前記事参照のこと)で買ってきたので、それを飲んで、あとは寝る。切れ切れでもトータル10時間以上眠るとよいような気がする。

とはいえ寝てばかりいると飽きるので、本を読みたくなる。風邪っぴきのときに読める本は限られている。アタマを酷使しないと読めない本は無理なので、当然却下。しかし爆笑エッセイなども、アタマは使わないにしろ体を酷使するので却下。昔わたしは見舞いにと差し入れられた『板谷バカ三代』を病床で読んで死にそうになった

板谷バカ三代 (角川文庫)
ゲッツ板谷 西原 理恵子
4043662041


まわりくどい暗殺かと思った。

それで、読むものは結局、上質のエッセイ・日記の類がよろしいという結論にいたり、わたしはもっぱら内田百閒と武田百合子を愛読している。たまに吉田健一。とくに内田百閒の『阿房列車』シリーズ(一條裕子によるコミック作品もすごくいい)と、武田百合子の『富士日記』、『遊覧日記』は何度も読んだ。いまはまた『富士日記』を読んでいる。

第一阿房列車 (新潮文庫)
内田 百けん
4101356335


阿房列車 1号 (IKKI COMIX)
内田 百けん 一條 裕子
4091790364


富士日記〈上〉 (中公文庫)
武田 百合子
4122028418


遊覧日記 (ちくま文庫)
武田 百合子 武田 花
4480026843


新編 酒に呑まれた頭 (ちくま文庫)
吉田 健一
4480030212


『遊覧日記』の解説で巌谷國士が書いている通り、武田百合子はほんとうに目のいい人だ。よく見る人で、そしてなんともうらやましいことに、見たものに的確な表現を与えられる人だ。今日読んだところからお気に入りの部分を抜いてみる。

  暑いので、町の通りを歩いている人は少ない。この辺では肉体労働をする人の家は昼寝をするらしい。 裏通りの小道を入ると、開け放った家の暗い奥に、老婆が布のように畳に横になっていたり、子供が三人位ごろんとしていたり、おじさんがタンスによりかかっ て眼をつぶっていたりする。  (『富士日記』下巻 pp. 160-161)

「布のように」! 痩せた薄べったい体のおばあさんが何もかけずに畳の上で寝ているのだろうが、すごい。このひとならではの表現。

もうひとつ。いやふたつ。

  車の列の間を歩くと息苦しいので、横町の道を選んで歩く。畑の間に小さな駄菓子屋がある。ブリキの 金魚三個八十円、ビー玉百個百円、ロケット風船十円、しゃぼん玉二十円。ブリキの金魚は、ずっと昔からの売れ残りらしく、一個は二十円にまけてくれる。少 し錆びている。いまはプラスチックの玩具ばかりになったから、ブリキの金魚は売れなかったのだろう。背中に、藻だの、ほかの魚だの、水の流れだの、金魚の棲んでいる世界のすべてがごちゃごちゃと描きこんである。いつみても気が遠くなるような面白さだ。懐かしい。  (同 p. 173)

金魚の背中に金魚の棲んでいる世界のすべてが描きこまれている。目から鱗がぼろっと落ちた。

  今日夕方、玉 [ 引用者注: 猫の名 ] は、はじめて一と足、真白な右足を硝子戸の敷居より出してみた。大急ぎでひっこめ、また出してみた。次にひょっと敷居をこえ全身をテラスに出してみた。そして嬉しそうに得意そうに甘い響く声で鳴いた。  (同 p. 192)

猫と生活したことがある人なら誰にでもわかるだろうが、猫はこんなふうにするものだ。そして「嬉しそうに得意そうに」それも「甘い響く声で」鳴いたなんて、なかなか書けるものではない。 このセンス!

これを書いた当時の武田百合子は、当人にとっても周りにとっても「作家武田泰淳の妻」という立場で、ハウスキーパー、料理人、運転手、秘書、泰淳病後は介護人の役をこなしているだけだったわけで、人に読ませることを目的に書かれたものではない(書くという行為そのものが読者を想定しているものだという議論はこの際おいておくとして)日記で、さらっとこれだけのことを書ける言葉の使い手であったとは、まったく才能というのはどこに転がっているか知れたものではない。ものを書くのがいやで、家計簿すらつけない百合子に「日記をつけてみろ」としきりに勧め、山小屋を建ててからは、「山にいる間だけでも日記をつけてみろ」といった泰淳。百合子の才能を見抜いていたとしか思えない。

<その日に買ったものと値段と天気とでいい。面白かったことやしたことがあったらそのまま書けばいい。日記の中で述懐や反省はしなくていい。反省の似合わない女なんだから。反省するときは、ずるいこと考えているんだからな>といったりした。  (同 p. 338)

<>内は、下巻に付記として百合子が加えた泰淳の言葉だが、百合子の非凡な「見て、表す」能力を活かす最高のアドヴァイスではないか。作家を育てるのも仕事のひとつである編集者の言葉ならば、文句なく満点だ、と編集者ならぬわたしは思う。日記のなかで、「百合子はばかだからな」といったりしているのが百合子びいきのわたしは気に入らなくて、なんだ、このえらそうなマッチョは!と思っていた。許してほしい。何度も読んでいる割には、今回はじめて泰淳のえらさに気づいたスカタンなわたしだが、「ばかだからな」と笑って許してくれるだろうか。

4 件のコメント:

  1. 風邪ひき、大変ですね。
    お大事になさってくださいね。

    自分も風邪を引くと鼻水やくしゃみがとまらなくなるのですが、病院のお薬のせいの可能性があるとは気付きませんでした。
    風邪で仕事を休むと、とかく職場からは「病院へ行ったのか」「薬は飲んだのか」とフォローされます。
    「病院へ行かない」「薬を飲まない」=「早く治して会社に来る気がない」のように見られという、このような風潮から無理に病院に行くことが逆によくないのかもしれませんね。

    自分も風邪ひきのときにはぼんやりと活字を見ることは多く、昔は歳時記とか山川の日本史用語集とか、意味も考えずにぼんやりと眺めることが多かったですが、最近の風邪ひき時にはYouTubeでどうでもいいような動画ばかり見るようになり(とくにスマホにしてからは酷い)本当に脳が休まっているのかという感覚に襲われることがあります(笑)。

    ということで、次に風邪を引いたときのために「富士日記」を購入しておこうと思いました。

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    1. れぽれろさん、コメントありがとうございます。

      わたしも、あのくしゃみ鼻水と白目の部分がピンクに見えるほどの目の充血は、単に風邪の症状だと思っていましたので、アレルギーの可能性を疑っていませんでした。当時は花粉症も発症していなかったし、食品アレルギーもなかったしで、余計気づかない、と。

      あ、歳時記いいですね。部屋のどっかに角川文庫のがあるはず(どこにあるかは不明)なので、次回に備えて探しておこう。

      武田百合子はいいですよ~。『富士日記』大好き。『遊覧日記』は、娘の武田花の写真もすごくいいです。オススメです。

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  2. 風邪、はやくよくなるといいですね(>_<)
    どうぞお大事に。

    私、ちょうどいま内田百閒を読んでいるところだったので(第二阿呆列車に乗車中)、なんだかうれしくなっちゃいました。
    そして同じく最近、武田百合子さんの『犬が星見た』を読んで、彼女の人柄と感性と文章に、虜になってしまったところです。
    『富士日記』もスタンバイ中なので、読むのを楽しみにしています。
    すっと見て、そのまますっと書いてしまえるところが、すごいですよね。
    確かに疲れているときや弱っているときに、彼らの文章は心がなだらかに休まるように思います。

    あと、天かすか揚げ玉かたぬきかハイカラ(?)の入った麺を、無性に食べたくなってしまいました。

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    1. 奈菜さん、コメントありがとうございます。

      熱はもう37度ちょいまで下がりました。ありがとうございます。

      わたし、「阿房列車」シリーズが大好きで、もう何度も読んでいます。ほかには、『阿呆の鳥飼』という、鳥に関するエッセイを集めたものが好きです。いまは流通していないようで残念です。(が、密林で中古が5円で売ってるのを確認しました…)

      ユリコさんの、この表現力は、ほんと素晴らしい。あと、よくそんなもの見つけるなあ、と思うんですよ、『遊覧日記』なんて読んでると。あと、ほんとに泰淳氏のアドバイスも素晴らしいなあと思います。「そのまま書け、述懐や反省はしなくていい」というの。ユリコさんの、あの肩肘張らない、押しつけがましさの微塵もない文章をわれわれが読めるのは、そのアドバイスあればこそかも知れんなと思うのです。

      あ、天かす、ぜひどうぞ! 丼ものや、大根おろしに混ぜてもいいですよ。関西人は、冷蔵庫に常備してます。(ほんとうか?)

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