2015-04-30

日々雑記 2015 Apr. #3

23日(木)

京都文化博物館フィルムシアターで、成瀬巳喜男監督『女が階段を上る時』を観てきた。「そう来るか」の連続。といっても、別に意表を突く演出とかそういうことではなく、さりげなく置かれた布石が、それ以外ありえない所で生きてくる綿密さ周到さ。しかもそれが、注意深く観ていないとわからないというものではなく、すんなりこちらに伝わる親切設計。感服仕り候。
階段を上る足元を、右から撮るか左から撮るか、それだけのことで主人公の心情をこちらに読み取らせておきながら、最後は無意識に「右か、左か」と待ち受けるこちらの気持ちをはぐらかしてくれるのも、ニクいね。会話のシーンでの、トーストやティーカップを扱う手や目線、そんな細かい部分も含めて、ああ自然ってこういうことだなと感じさせるのは、俳優たちの力量か監督の演出力かわからんけど、感動的に素晴らしかった。


女が階段を上る時 【東宝DVDシネマファンクラブ】
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24日(金)

鳩よ……


異変を感じてベランダへの扉をガラっと開けたら、2羽いたな。番だな。あわてて飛び去る姿を見送りながら、それでもコレは許してやろう、抜けて散らばった苗は植えなおせば済むから。片づけながらそう思ったんだ。

それを、おまえたちはなんだ!



帰宅したらこのザマだ。絶対に許さない。明日夜明けとともにベランダに出るからな。棒持って立ってるからな。覚えとけ!……ううう(泣)。

月兎児だけじゃなくて、やっと定着しそうだったレモンバームの挿し木苗もひっくり返されてたからな……

ああ、なんかいろいろ思い出してきた。去年は、ベランダでパラパラ音がするので、なにかと思って見てみたら、多肉植物を葉挿ししている3号鉢ですずめが砂浴びしてたり。うわ、ぴったりサイズ!って感心してる場合か!ってなことが何度も……それから、これも去年のことだけど、双葉が出たばかりのトマト、ぽっきり折ったのは誰ですか!? 食うならともかく、折っただけって!! ほんと誰なんですか!? ……鳩か? ……鳩だな? 鳩なんだな?

ベランダでそんなことが起こっているとはつゆしらず、わたしは仕事帰りになんとなく最寄の市立図書館に寄ってみたのであった。こちらには、引っ越してきた当初、二度ばかり行ったきりだった。いつも本を借りては延滞しているのは府立図書館なのだ。蔵書量の違いもあるけど、市立図書館には机がないというのが、足が向かない最大の理由。しかしここ、森茉莉訳のジイップ『マドモアゼル・ルウルウ』が開架で置いてあるんだなあ。エイモス・チュツオーラが「英米文学」の棚にあったり(英語で書いてたからかなあ)、ミラン・クンデラが「ロシア文学」の棚にあったり(チェコ、もしくはフランスでは?)謎な分類をしていても、「ロシア文学」の棚のほぼ半数がカレル・チャペックだったり(東欧=ロシアという理解なのか?)しても、不問に付してもいいかもと思うくらいだ。
図書館が4階に入っている建物の1~3階は、デイサービスや作業所等の障害者関連施設で、1階のエントランスには、障害のある子供たちのつくった製品の展示スペースがある。きれいに絵付けされた石鹸、額装された手ぬぐいに目が釘付け。どれも販売している。ほしい!と思ったのだけど、地下鉄の定期券を買った後で、もう財布に1,000円くらいしか残ってなかったので諦めた。


28日(火)

今日明日と連休なのだけど、用事があって実家に帰ることになった。用事自体は思いのほか早く片付き、陽気もよいので川のほうまで散歩に出た。出たついでに、土手に生えていたイタドリとワラビを採って帰る。


まずは下処理。イタドリは皮をむいて食べよい長さに切り、半分は塩漬けに、半分はさっと湯がいて水にさらしてひと晩おく。ワラビは重曹を振りかけ、かぶるくらいの熱湯を注いで置き、冷めたら水を捨て、何度か水を替えながらさらしてひと晩おく。

あ、イタドリ1本分は、生のまましょうゆに浸して、夕食のごはんのおともに。これはこれで酸味が利いててうまかった。


 29日(水)

カラッと晴れたので、アク抜きしたワラビの半分を干す。

朝食には、味噌としょうがを加えてたたいたワラビに削り節をかけたのを。


ものすごくうまいものではないけど、白いごはんに合う。

午前、妹が姪っ子たちを連れてくる。お義母さんが高野山にお参りされたときのお土産を届けに来たのだった。姪どもに会うのは正月以来。いままでに3度しか会っておらず、もう忘れられているかもと思っていたら、あにはからんや奴らは喚声をあげてこちらに突進してきたので、たいへんにうれしかったのだが、そこは喚声でなく歓声であってほしかった。

そのあとは、姪考案の謎の遊び無間地獄に陥る。ええかげん疲れた中年はむしろ『アンパンマン大図鑑』を熟読していたい。ちょっと、ちょっと休まして、あっ、おやつ!おやつにしょうやぁ、なぁ?と、土産に持参したケーキをちらつかせ、謎の遊びを強制終了。しかしおやつの時間にも、はしゃぎすぎてお茶をこぼして服を濡らしてしまった姪1、着替えがないというのだが、裸で置いておくわけにもいかないので、服が乾くまでのまにあわせに、タオル地の筒型枕カバーを着せて、肩のところを洗濯バサミでとめてみたら、驚きのジャストサイズであった。


物干し場にて。枕カバーのワンピース、思いのほかお気に召したようで、なによりであった。

昼食にも、昨日の収穫をば。イタドリとたけのこ(これは叔父が掘ってきたものだとか)の炒め煮。


 ワラビを出汁びたしにしたものに、削り節をかけたの。


ほかには煮しめ、蒸し野菜、きんぴらごぼうなど。メインのおかずは母作の肉餃子、わたし作のツナにんじん餃子(にんじん好きの姪2がよろこんで食べてくれたので、たいそううれしい)。

午後、姪1に乾いた服を着せ、妹家ご一行様お帰り。妹家のお義母さんが、わたしに「持っていんでもらいんせぇ」(ウチのイナカのあたりの方言。「持って帰っていただきなさい」の意)と、妹に持たせてくださった、手づくりのかきもちと干しゼンマイ(これ、ただ干しただけじゃだめで、つくるのに手間ひまがかかるのだ)を、ありがたくいただいて、わたしも帰路につく。

塩漬けイタドリを少し持って帰ってきた。


ほかに、まだ完全に乾ききってないワラビ、高野山の高野豆腐を土産に。


30日(木)

出勤したら仕事が山積みになっていた。終わる気がしないので、定時に上がったった。

晩酌


アテはゆで落花生。うまいなあ。

2015-04-20

日々雑記 2015 Apr. #2

10日(金)

祖父の十七回忌、祖母の十三回忌の法要のため帰省。お供えに阿闍梨餅を携えて帰る。


11日(土)

法事に集まるのは、ごく近い身内の者だけなので、気楽なもの。御詠歌中には笑いも起こるほどで。御詠歌といえば、わたしは途中抜け出して、お寺へ上げるお菓子の折を受け取りに行く役目を仰せつかったのだが、もともと超せっかちなのに加えて、テンパり体質のウチの父が先達をつとめていたせいかどうかは知らないが、 菓子屋さんの開店時間(9時半)には、9時に始まった御詠歌が終了してしまいそうなので、居残ることにする。前日聴かされた、高野山で購入したという御詠歌CDでは、1時間以上かかっていたのだが、まあそれは、地域標準速度に比してもかなり遅いものではある(らしい)。それにしても今回のは早かったような。

10時、おっさん(中年以降の男性に対する蔑称ではなく、「和尚さん」 の意。ちなみに「中年以降の男性に対する蔑称」の「おっさん」は「おっさん 'sʌŋ] 、「和尚さん」の「おっさん」は「っさん」 ['ɔsəŋ] と発音するのであるが、発音記号はテキトーなので信用しないように)登場。ちょっとすごいものを忘れて来られた(のではないかと考えられる)。そのせいで(だと思われる)、あげてくださるお経のリズムが一部乱れる。だれもその場で指摘はしないが、お帰りになってから一同ざわついたりはしたのであった。

その後お寺で読経していただく際には、その忘れられていたものが、しれっと(そのように思われる……)登場していた。もちろんだれも指摘はしないが。

墓参ののち、マイクロバスに乗車、お斎をいただく会場へ。そのお店は近くにスキー場もあるような山の上にあって、眺望のよい(といっても山しか見えないけど)所で、壁面がガラス張りになっていた。食事中、部屋のすぐ外に、動物が一匹出てきてごそごそしていたのでびっくりした。またそういうときに限って、姪っ子たちはふたりとも、どっかに遊びに行っていたのであった。

最初に見つけた母が、「イタチがおる」というので見てみたら、後姿でなんだかわからないけど、体形からいってイタチじゃないし、足のあたりが黒くてタヌキ(イヌ科)のようにも見えたのだが、振り返ったその顔を見ると、そやつはアナグマ(イタチ科)だった。まあね、似てるけどね。みんなが「タヌキだタヌキだ」といっているなかで、「あれはアナグマ」とボソっといってみたけど、たぶん誰にも聞こえていなかっただろう。

夕方、京都に帰る電車のなかから外の景色をぼーっと見ていると、町中を流れる川の川原(そのそばでは、けっこう車がビュンビュン走っているような場所)に鹿が2頭いるのが見えた。なんかしらんが、本日は野生動物まつりであった。


13日(月)

夜、旅日記更新。(→「お店選びで失敗したくない忍びの皆さまのために――春の18きっぷ旅 播州編(前)」


14日(火)

夜、旅日記の続きを更新。 (→「おでんを諦めてから、わかめを諦めるまで――春の18きっぷ旅 播州編(中)」


15日(水)

本日は休日。明石土産のみりん干しだこで、たこ飯を炊いた。


ぱっと見ゴーセイだが、煮しめは昨夜の残り、コールスローは朝の残り、ラディッシュの酢漬けは常備菜なので、つくったのはたこ飯、高野豆腐と湯葉とえんどう豆のたいたの、けんちん汁だけ。

古紙回収の集積所(ウチの団地のエントランス内)で、漱石全集 第十一巻『明暗』、第二十三巻『書簡 中』拾った。


あと、『行人』の箱と月報だけ捨ててあったんだけど、それも拾っといたほうがよかったのだろうか。

夜、旅日記播州編、最終回更新。(→「明石場当たり散歩(亀→蛸→蜻蛉→亀→蛸)――春の18きっぷ旅 播州編(後)」

ほんとに短くまとめる能力がなくて申し訳ございません。そして毎度毎度、タイトルにセンスなくてすみません……


17日(金)

焼きたけのこ、姫皮のラー油和え、焼きそらまめでビール。


水煮のパックはいつでもあるけど、生たけのこを湯がいたのはいましか食べられないからね。ゆうてもスーパーで売ってたもので、自分で湯がいてないけど。以前は友人のお母さんが、友人いわく「アホみたいに」掘ってきて湯がいたのを分けていただいてて、あれはほんまに美味しかったなあ。わたしも幼少のみぎり、緑多き場所に預けられていた際、春先は山に入ってアホみたいに掘っていたものだ。

そういえば、本日某呟き処で、三重の亀山で食事された方が、「すいすいごんぼ(?)しばいた」と呟いておられた。「すいすいごんぼ」ってなんだろうと思って調べてみたら、松坂方言で「いたどり(虎杖)」のことだそうだ。わたしのイナカでは、それを「だんじり」という。野育ちのわたしは、それをよく生でかじっていた。ポキンと折って、皮を剥いて食べた。大量に食べると腹痛を起こす(シュウ酸を含んでいるため)と注意されていたので、オヤツがわりにちょっとだけ。まあ、とくに美味いものではない。たくさん採ったら、塩漬けにして保存する。こちらのほうは、塩出しをして煮物にしたら美味いものだ。日当たりのいい草地なら、たいていどこにでも生えている。久しぶりにどっかに採りに行ってみようか。ああ、ノビルもいま旬だな。実はノビルは、わたしの住む団地の、だれも世話をしていないが、引っ越していく人々が捨てていった植物が野生化してたくましく生きている花壇(であったもの)に生えている。まあ、そんなとこのものはちょっと食べる気にならないけども。


18日(土)

今日は天気がよかったから、弁当は職場近くの公園で食べた。わたしの弁当が全体的に茶色(白ごはんに梅干、ひろうす、こんにゃく、にんじん、干ししいたけ、高野豆腐、たけのこ)であまりにも地味だったせいか、いまが盛りのポンポン咲きの八重桜が、やけにきれいに見えたのであった。いや、弁当関係ないか。

 フリオ・コルタサル『悪魔の涎・追い求める男』(木村榮一 訳 岩波文庫)読了。前に読んだ『遊戯の終わり』には(いい意味で)甘さが感じられる作品もあったけど、今回読んだこの短編集は、なんというか、硬派だった。後半に収められた「南部高速道路」、「正午の島」、「ジョン・ハウエルへの指示」、「すべての火は火」が好み。解説(実をいうとこの解説、「性的な象徴」とかフロイトとか持ち出してくるあたり、ぜんぜんピンとこなかったんだけど……エラそうにすみません)読んだら、この4編はすべて、『すべての火は火』に収録とあるな。8編のうち4編重複してるけど、これは手に入れるべきかも、と思いつつも価格にビビり、岩波文庫版の『秘密の武器』(これまた4編のうち2編が重複)をポチってしまった。

「正午の島」は、アレだなあ、えーと、ロベール・アンリコが撮った短編映画の原作を彷彿とさせる(なるべくネタバレしないようにしてますが、わかっちゃったらすみません)味わい。
「南部高速道路」は、J. G. バラードのアレ(えい、もどかしい)を連想。主題の扱いは別物だけど。

悪魔の涎・追い求める男 他八篇―コルタサル短篇集 (岩波文庫)
コルタサル 木村 栄一
4003279018


いまは武田泰淳の『ニセ札つかいの手記 武田泰淳異色短編集』(中公文庫)読んでる。まだ最初の「めがね」の途中だけど、これもスゴそうな気配が濃厚。

ニセ札つかいの手記 - 武田泰淳異色短篇集 (中公文庫)
武田 泰淳
4122056837


次のニュースです。間違いなく買ったはずのアンナ・カヴァン『氷』が行方不明。現在、必死の捜索が続いています。一刻も早い発見を願っています。画像は、購入した日の『氷』さん。


『氷』 なにも心配いらぬ、すぐ帰れ 麩


19日(日)

今日の弁当は「おにぎらず」に初挑戦してみた。 が、具材がやはり茶色(①伏見唐辛子、ちりめんじゃこ、昆布の佃煮、②さば味噌煮缶でつくったカレーそぼろ)なので、地味なことこのうえない。そして断面が美しくない(飯と具の間に青じそでもはさんでおけばよかったか)。これはもう、おにぎって中身を見えなくしてしまったほうがよかったような。


あ、切らなきゃいいのか。

『ニセ札つかいの手記 武田泰淳異色短編集』、最初の2編、「めがね」と「『ゴジラ』の来る夜」を読んだ。面白い。武田百合子は大好きで全集を読んだけど、泰淳はいままでわたしの中では「百合子の夫」扱いで、『十三妹』と『目まいのする散歩』を読んだくらい(『ひかりごけ』読んでない)だったのが惜しまれる。いや、惜しんでないでこれから読めばいいのだ。


20日(月)

今週からしばらく忙しくなる、以外に特筆することもなし。
しかしこのごろ、梅雨入りしたのかと思うような天気が続くね。布団にカビが生えそうだ。

2015-04-15

明石場当たり散歩(亀→蛸→蜻蛉→亀→蛸)――春の18きっぷ旅 播州編(後)

(承前)


わかめのことは忘れることにして、次の目的地へ。雨も降っていることだし、たこのみりん干しをかばんにしまって歩き出す。

駅の観光案内所でもらってきた「ふるさとの道をたずねて 喜春城(明石城)と柿本人麻呂の道」というリーフレットによると、柿本神社という神社があるらしい。「柿本神社」で「人麻呂の道」コースに入っているというのに説明書きもなにもないので、かえって興味をそそられる。それに、以前明石の観光名所を調べていて気になっていた、弘法大師ゆかりの寺という月照寺(こちらも説明書きなし)も近いようだし。ちょっと行ってみようではないか、と、せっかくのおすすめコースをいきなり無視、線路沿いに歩いて神社を目指す。住宅街を歩いていると、「亀の水→」という表示がある。なんだろう、「亀の水」って。亀を育てるのに好適な水なのだろうか(それはない、という気がおおいにする)。それとも傷ついた亀についていったら湧いていた、万病を癒す水とかなのか(それもない、という気がちょっとする)。非常に気になるのでそっち先に行くか。だいたい常にひとのいうことを聞く気のないわたしには、「おすすめコース」は意味を成さないのであった。

さて、目的地を変更、「亀の水」へ向かおうとしていたのであるが、いつしか「亀の水→」という表示を見失い、あっちへふらふら、こっちへふらふらしているうちに、二番目の目的地であった月照寺への参道入り口に偶然着いてしまった。


人生なんて、人生なんてこんなもんなのか。なんとかなるようになっているのか。さ、月照寺にお参りしてきましょう。

椿の花の落ちるままに捨て置かれている石段を登ると、月照寺。


あれ、曹洞宗なのか。空海ゆかりのお寺というから真言宗かと思ってたけど。しかしここへきて、求めていたものがすべてそろっていることに驚く。すぐお隣が柿本神社、向かいが明石天文記念館、そして「亀の水→」の標識。なんというか、ここに一堂に会していた。やはり人生こんなもん。なんとかなるようになっている。ありがたや。

月照寺は観光寺ではないので、お邪魔をしないように静かに見学して、お隣の柿本神社に向かう。由来をみたところ、こちらは神仏分離令によって月照寺から分かれたそうで、もともとは月照寺の鎮守だった由。近くて当たり前。てことはだ、わたしの人生が放っといてもなんとかなるようになっているわけではないと、こういうことだな。ほろ苦いな。

手水舎。


近づいたら亀の口から急に水が出たので、ビクっとしてしまった自分につい笑う。センサーで制御されてるのだね。しかし神社やお寺の亀には耳があるね。ほんで鼻づらも長くて牙があるね。あと、碑が乗っかっていることが多い(この神社にもあった)けど、あれはなんでだろうね。 なんにせよ、われわれの知る動物「亀」とはちがう生き物なのだろうね。

帰ってから調べてみたら、これは中国の「贔屓(ひき、または、びし)」という神獣で、 碑の台座になっているものを「亀趺(きふ)」というのだそう。龍の生んだ九頭の子の一頭で、性質は「重きを負うことを好む」とか。だから碑を背負わせているのだろうか。

余談だけど、調べる際に参考にしようとしたら、つい読みふけってしまった沼のような本があるのでご紹介。 『カラー図鑑 カメのすべて』(高橋泉 著 三上昇 監修 成美堂出版) 「すべて」というだけあって、カメに関するさまざまなことが網羅されている。亀の子タワシの解説まである。コレめちゃくちゃ面白いです。

カメのすべて (カラー図鑑シリーズ)
高橋 泉 三上 昇
441508561X


さらに余談だけど、この本には、島根県松江市の「月照寺」の亀趺が載っていた。調べてみたら、松江の月照寺には大亀伝説があるのだとか。「月照寺」と「亀」にはなにか関係があるのだろうか。

お社。



御守り等の授与所を覗くと「合格たこ御守」というものが。たこと合格の関係ってなに?と思い、調べてみたところ、

「たこ」は英語で"octopus"→「オクトパス」→「おくとパス」→「置くとパス」→「置くと[試験に]パス(合格)」……バンザーイ!

駄洒r……う、うまいやないか。なお、実際に買われた方によると、設置面にはなんと「滑り止め」がついているという、なんとも至れり尽くせりな、合格させます!の意気込みがうかがわれる安全設計。すばらしい。
ところで、苦しいダジャレ……いや「置くとパス」は苦しくはないですけど、苦しいヤツを一瞬で救済する魔法のことば、「バンザーイ!」 っての、関西だけのものなのだろうか?


お参りして外へ出ると、すぐ向かいが明石市立天文科学館で、子午線標識(1930年建立)が立っている。


てっぺんのトンボがかわいい。この右手の石段(どうもこちらが月照寺の表参道らしい)を下りると、「亀の水」があるということなので、行ってみよう。


ありました。柿本神社の手水舎の亀みたいなのがいる。こちらのほうは口から水が出っ放しである。


亀の口から水がどんどん出ている。由来書などはなく、なぜ亀なのかはわからない。飲めるのかどうかもわからないが、「飲めません」とは書いてないし、汲むのに使うらしいステンレス製の器具が置いてあるので、飲める水だろうとは思われる。汲んじゃえ。残り少なくなっていたペットボトルの水を飲み干し、 それに汲んで、ひとくち飲んでみた。わたしがいつも飲んでいる京都の地下水よりも、塩気というかミネラル気を感じた。海が近いからかと思ったけど、よく考えたらこれは山の水なので、気のせいか花粉で舌がバカになっているせいか、そのどっちかだろう。
……しかし、飲んでおいてなんなのだが、ちょっと心配になってきた(ふつう飲む前に心配すべきだろうが)。たしかに「飲めません」とはどこにも書いてないのだけど、「飲めます」とも書いてない、というかそれ以前にまったくなんにも書いてない。飲める水の湧いているところによく置いてあるコップ等もないので、生で飲んでいいかどうかわからない。これは持ち帰って調べてからにすべきだろうな。ただでさえオナカ弱いんだから。なら、なおさら飲む前に考えろ、なのだけど。
(帰って調べたら、「飲用になるが、水質検査をしていないので沸かして飲むように」 とのこと。わたしも腹はこわさなかったけど、ひと口しか飲んでないので、大量に飲んでも大丈夫と保証はできない)

水は翌日職場に持っていく茶をわかすのに使おう。さて、じゅうぶん楽しんだ。帰るとするか。


帰りの電車で、そういえばたこのみりん干しをかばんに入れたままだったと気づく。混んでいる電車内で運よく座ることができたのだけど、このままかばんを膝に置いておいては、しょうが醤油はいいとしても、みりん干しが温まってしまう。 それは避けたい。たこだけでも荷棚に上げておこうか、と身動きしたら、通路側に座った女性が立とうとしてくれる気配を見せたので、そんなことで立ってもらうのは悪いなと思い、ごめんなさい、ちょっと体勢変えようとしただけなんです、お気づかいありがとうございます的に会釈して、そのままたこを温めておくことにした。おかげで、その後しばらくわたしのかばんの中はたこ臭かったのであった。



たこ飯、うまかった。

2015-04-14

おでんを諦めてから、わかめを諦めるまで――春の18きっぷ旅 播州編(中)

(承前)


おでんのことは忘れることにして、新快速に乗車、姫路から約25分で明石に着く。小糠雨が降っているが、傘なしでいけそうな感じ。姫路へ向かう途中でちらっと見えた城跡の公園以外、観光する場所といって、有名な魚の棚(「うおんたな」と発音する)商店街くらいしか知らないので、まずは観光案内所で地図などをもらう。この時点でまだ昼前なので、観光を先にしようではないか。


駅前に出れば、コレ。


明石鯛ですね。名物です。コレ、かなり高い位置にあって、高架になっているホームからも見えるので、明石駅は通過したことしかないけど、ずっと気になっていたのだ。まあ、わたしとしては、たこのほうが好みなのだけど、それはおくとしても、なんで逆さなのだろう。躍動感?


まずは公園に向かう。なんか像が立っているのが見える。


なんだろう。後姿を見るに、どうやら人体の最上部に繁茂する、80%以上がたんぱく質から成る物質をほぼ欠いている人物の像であるらしい。「明石の入道像」だったら盛り上がるよな(なにが?)、などと思いつつ近づいてみる。というか公園入り口に立っているので近づかざるをえないわけだが。


明石の入道像ではなく、大洋漁業株式会社の創業者であった。ということは、この方のおかげで、わたしはさば缶(常備してます)をおいしくいただくことができるのだ。これはこれは、いつもありがとうございます。

櫓のある広場に登る坂道にて。ここも桜はしまいかけで、かなり散っている。



櫓には入って見学することができるらしい。

頂上の公園に到着すると、株の話で盛り上がっている10人ほどのおじさまたちの宴がたけなわであった。今が平日の真昼間であるということを忘れそうになる。

そして櫓は


 雨天(小雨を含む)公開中止であった。


公園をぐるっと歩く。


激しい領地争いに両者飽き果てて共生している感。真ん中の木の幹には誰かの名前が深く刻まれている。シュウヘイ、わたしはお前を許さん。本人が彫ったかどうかは知らんが。

来たときとは違う道を下りてみる。


なんの屋上なのかよくわからないが、行ってみるかな。ちょうど反対側から登ってきたおじさま二人組の後について行く。


お、いい眺め。おじさまいわく、「綺麗やろ。ここからの眺めが一番ええんや。知らん人多いけどな」

この辺で雨が本降りになってきたし、時間も正午を過ぎ、腹も減ってきたので駅の南側に出て、魚の棚商店街へ向かう。


なに???



こういう器具の専門店??

通りの角まで来て、やっと全貌が見えた。


それにしても「ひ」と「尿器」の間が離れすぎではないだろうか。それに場合によっては縦長の看板で分断される恐れもあるように見えるのだが大丈夫か。そして「ひ-尿器間問題」に直接関係はないものの、「個室の宝石箱」というのも、どんなものなのかちょっと気になりはするのだが、深く追求はしないでおこう。


くだらないことばかり考えているうちに魚の棚商店街に着いたが、まだまだ昼時なのでどの店も混雑しているだろうと思い、食事する店を探しがてら、いちどここを通り抜けて銀座通りへ出て、それから海のほうに行ってみることにした。鮮魚店の店先に並べられた、見るからに新鮮なイカや小魚が目にうれしい。焼き穴子の店に心惹かれるものを感じる。明石焼きもいいけど、穴子も捨てがたい……と心たのしく迷いに迷う。迷っているうちに銀座通りに出た。ここを南下して港のほうへ。

おお、いい感じの看板。


そうだった、明石焼きは元来「玉子焼き」というのだった。この店、よさそうだったのだけど、残念ながら定休日。

橋の上から見えた、ちょっといい景色。


港のほうに行ってみたが、なにやら工事しててあまり楽しくない。一度乗ってみたかった「たこフェリー」(明石淡路フェリー)もいまは営業してないしな。しかたない、魚の棚の方へ戻ろうと銀座通りを歩いていると、選挙期間中のことで、選挙カーがやかましい。まわりに人がいない状況で、候補者にめっちゃ手を振られたが、明石市民でも兵庫県民でもないのでどういう態度をとっていいのやらわからない。まあ、地元で手を振られたとしても、どういう態度もとりはしないのであるが。


ふたたび魚の棚商店街到着。ああ、新鮮な魚介類よ! 干物の店の干しだこよ! 明石焼きの店先に何匹も吊り下げられた蒸しだこよ! 購買欲でどうにかなりそうである。ピカピカの小魚がトロ箱いっぱいで300円! 選んでいるお客さんに、魚屋のおっちゃんがパシッとはたいてキュッと縮む様子を見せているハリイカなんか、ああ、もうたまらん。観光で来てるんだ、近所じゃないんだ、冷静になれ、買っちゃダメだ買っちゃダメだ買っちゃダメだ、と呪文のようにつぶやく。

冷静になって、とりあえずは昼飯だ、と先ほど心惹かれた焼き穴子の店に近寄ったら、扉にはすでに「完売しました」の貼り紙。無念。先に港のほうになど行くのではなかった。だが案ずることはない、わたしにはまだ明石焼き(玉子焼き)があるのだ。ということで店を探す。探すまでもなく、商店街の中だけでも何軒もあった。ま、どこに入ってもハズレはないでしょ、と思いながらも、せっかく来たのだからと店ごとの特徴を探ろうとする。が、よくわからない。それならたこ飯と明石焼きを一度に食べられる店に入ってしまえホトトギス、と乱暴な気持ちで明石焼き専門店ではなく、食堂っぽい店に。「うまいもんや」と大きく染め抜かれた緑ののれんの「かねひで」さん。ちなみにこちらも「玉子焼」の看板が掲げてあった。メニューは通りのよい「明石焼き」表記だったけど。注文した明石焼きセットは、明石焼き15個と、たこ飯に漬物という、炭水化物&たこの大盤振舞いセット。これ850円。待ってる間に地図でも見ようか、と駅でもらってきた地図をかばんから出した瞬間に「お待たせしました~」の声。いや、ぜんぜん待ってませんが。まあ、ファストフードだから、これでいいのか。地図をふたたびかばんにしまって、いただきます。薬味として三つ葉と葱の刻んだものがついている。あっつあつの明石焼きを、まずはひとつ、薬味を入れずにお出汁につけて食べる。あっつあつである。あっというまに硬口蓋の皮がべろべろ。だがうまい。つぎに三つ葉だけ、そのあと葱を加えて、と三種の味を楽しんだ。三つ葉がいいな。食卓にはソースも置かれていたが、それは試さず。たこ飯はわりとしっかりした味だった。ごちそうさまでした。


しかしけっこう腹いっぱいになってしまった。明石焼きの食べ比べなんかしてみたかったのだけど、ちょっとこれでは無理そう。セットなんて食べなきゃいいのに、って思ったでしょう、そこのあなた。わたしもそう思いました。というわけで腹を減らすべく商店街を歩く。歩いていると購買欲がまたもやうずうずと。生の魚介は無理だけど、干物ならいいだろう。そうだそうだ、干物買おう。大きい干しだこは数千円もするので買えないけど、小さいみりん干しのたこを買って帰ろう。店のおばちゃんに相談して、たこ飯用のと、あぶって食べる用のたこを選んでもらう。「ご飯用のは厚いのがいいし、あぶるのは薄いほうが食べやすいから」と、たくさんある中から選んでくれた。2匹で500円。


あとはわかめでも買うかな、と考えていると、なにやら商店街が騒然としてきた。手を振りながらこちらへ歩いてくるスーツ姿のおばさまに、人々が群がり握手を求めている。というよりおばさまのほうから人々に近づいて手を差し出している。なんだあの人、と思ってよく見たら、片山さつき氏だった。選挙の応援で来てんだな。あ、わかめの店の人もそっちに行ってしまった。すごい人気だ。それはともかくとして、あの、わかめが買えないのですが。


(続く)

2015-04-13

お店選びで失敗したくない忍びの皆さまのために――春の18きっぷ旅 播州編(前)

某日。朝、天気予報をチェックする。きょうも18きっぷで出かけるのだ。しかし日帰りで行ける範囲はどこも曇りのち昼ごろから雨。あまり遠くまで行ってずっと雨の中歩き回るというのはどうもな、ということで近場に行くことにした。せっかくだから、去年から白い白いと騒ぎ続けていた姫路城でも見てこようか。改修後オープンして間もないので、すごい人だろうけど。

近場なので、出勤ラッシュ時を避けて遅めの時間に出ても、じゅうぶん観光できるということで、9時ちょっと前の電車に乗車。それでもけっこう混み合っていて、グループで乗っているおばさまたちがにぎやかに城とハルシオンの話に花を咲かせておられる(嘘じゃないです)。城の話題では「整理券」という単語がちらほら聞こえたのだけど、整理券出してるのか。やっぱりすごい人なんだろうな。まあ、アレだ、改修なった天守閣に登ろうって場合だけだろう。べつに天守閣に興味ないからいいや、と思ったのだけど、そういえばわたしは姫路城の何に興味があるのか、実はよくわからないんである。小さいころ、よく両親に連れられて来て、大人の用事のあいだ(このごろでは考えられないことだろうけど)公園に妹と共に放置されていたので、城は見慣れているのだし。まあ、その見慣れていたはずの城が、いまや見たこともない驚きの白さだから、ってとこだろうな。白さ。それだけ。たぶん。


途中、明石で停車したとき、城跡の公園が見えた。桜咲いてる。そういえば明石で下車したことないな。こっちもちょっと寄ってみよう。姫路城行って帰ってきたらちょうど昼時だろうし。あなご丼とか、ああ、明石焼きもいいなあ、食べたことあるようなないような、だしなあ。というわけで、次の目的地も決まったのであった。

姫路に着く少し前に、雨がポツポツ降りはじめた。予報では「昼ごろから雨」ということだったので、もつかな、と思っていたのだけど、まあ、仕方ないな、こればっかりは。駅に着くころには、傘が必要なほどの雨になったが、歩いているうちに次第に小降りになってきた。


さあ、白さを求めてやってまいりました、姫路城。


すごく……白いです。やっとまともに撮影することができました。ああ、バックが青空だったらさらに白さが際立つだろうに。

気になる天守閣へは、


2時間待てば登れますってさ。しかし、すごい人が並んでいる。行きしなにも、若男子の4人組が「天守閣入るだけで1,500円やで」「んでも、入るやろ?」「せやな」いうてたしね。みんな2時間待つんだなあ。すごい。

まあ、わたしは公園の桜を楽しむことにする。もうかなり散ってはいたけど、まだまだ綺麗。




 



綺麗だな、来てよかったなと思う。しかし桜を綺麗だと素直にいえるようになってよかった。昔から、みんなが喜ぶものには背を向ける傾向があったのだけど、べつに桜を綺麗だと思っていなかったわけではなく、単にそれを素直に表明するのがイヤだというか、よく考えもせず他人の意見を鵜呑みにしているような気がしてイヤだという、なんともめんどくさいひねくれ方をしていたのだった。梅のほうがスッキリしてていい、とかいってみたりするような。ああめんどくせえ。
ま、こういうめんどくささがあってこそ、自分でもどこに目ぇつけて歩いてるのかとあきれるような写真が撮れるのではないかな、なんて自己正当化したりなんかして。いや、正当化か、これ?


まあいい。公園の桜は堪能した。天守閣は、人出が落ち着いてから登ってみよう。さっきいった通り、天守閣には興味はないのだけど、昭和のコンクリ再建じゃないのだから、いちどくらい中見ておいてやってもいいだろ、っていう……いや、ほんとにツンデレとかそういうアレでは必ずしもない。ないって。……必ずしも、ってのはなんだよ。


さ、「必ずしも」はなかったことにして、しれっと駅に向かうことにしよう。同じ通りだけど、いきしなとは違う側を歩こうかね。

えーと、なんなのでしょうか、これは。


手裏剣が刺さっとる。食べられる手裏剣なのだろうが……それにしても、全体的に色目が地味だ。白黒グレー茶色と、かなりの渋好み 。目立つことなく食べられるパフェとして、忍びの者に大人気なのだろうか。「小粋な茶店でぱふぇーを食べつつ仲間と謀議を、という拙者の年来の夢を実現してくれた忍者パフェ。手裏剣標準装備で、すわというときにも心強い。リピするでござる」等々の実食レポートが、食べログ(伊賀・甲賀版)に続々寄せられているやも知れぬ。忍びの者は、お店選びで失敗すると命がないのである。死して屍拾う者なし……は、「大江戸捜査網」だな(観たことないけど)。

忍者たちにひっそりと大人気(かどうかは知らないが)の姫路の新名物の写真を撮っていたら、笑顔の素晴らしい、ひとり旅らしきアジア系中年男性に、知らない言語で話しかけられ、カメラを渡された。記念写真を撮ってほしいということらしい。しかしここからでは城が写らないかもしれない。彼の言葉を話せないので、"OK, but I'm afraid the castle might not be in the picture from here"といってみたら、こちらのいいたいことは伝わったらしい。彼の返事はやはり彼の母語(だと思う)だった。言語としてはこちらに伝わらないが、いいたいことはわかった(たぶん)。彼は「よいのです。この街の風景をバックにわたしを撮ってほしいのです」といっていた(きっと)。そらそうだ。彼はこれから城方面に向かうのだから、城との記念写真など、この後なんぼでも撮れるのだ。コミュニケーションは完璧(おそらく)なことがわかったので、こちらも母語でやることにした。「はーい、じゃあ、撮りまーす!」「もう1枚撮りますねー、はい、撮りまーす!」と、2枚撮り、再生して見せてあげたら、「イイデス! アリガトウゴザイマス!」と素晴らしい笑顔でいってくれたので、うれしくなった。「どうぞ楽しんでいってくださいね」といい、別れた。


駅までイイキブンで歩き、姫路おでんはこれで食べる、というしょうが醤油を土産に買い、電車に乗ってから、肝心の姫路おでんを買っていないことに気づくが、まあいい。イイキブンだから。


(続く)

2015-04-09

日々雑記 2015 Apr. #1

2日(木)

エマニュエル・ボーヴ『ぼくのともだち』(白水Uブックス)読了。 以下は読書メーターに投稿した感想。

 最初は笑いながら読んだ。ともだちをみつけようとパリの街を彷徨するヴィクトール。彼のとんでもない妄想の暴走っぷりやら、その自己イメージと実際のあり ようの落差が可笑しすぎる。そのせいで、彼はともだちのできそうな機会を、すべて自分からぶち壊してしまう。不器用すぎる。それじゃダメだ、といいたくな る。とはいえ、彼の孤独と疎外感がなにに由来するのかを考えると、人と人がわかり合える可能性というものは、多くのものを犠牲にした末に生まれるものなの かもしれないということを思わせもする。末尾の文章の切なさと美しさに、胸が痛む。

前に少し書いたけど、ヴィクトールはかなり嫌なヤツだ。でも最後まで読んで、切なさを覚えるほどに、純度100%の不器用人間ヴィクトールが愛おしくなってくるのは、わたしがなんとか世間と折り合いをつけられるだけのいやらしさを身につけた不純(?)な不器用人間だからなんだろう。彼の孤独は誰のなかにもあるはずのものだと思う。しかし、彼のコミュニケーション不全は、はっきりと語られてはいないが、戦争の体験のあるなしと関わりがあるような気がしないでもない。プロローグの、「ぼくはよっぽど『私は戦争に行ったんですよ』と言ってやろうかと思った。戦争でひどい怪我を負って、戦功章を授かったんです。今は傷痍軍人年金を受けています。そう言ってやりたかった。でも、すぐに、そんなことを言っても無駄だと悟った」 こうした断絶に対する無力感を見ると、あながち見当はずれでもなかろうと思うのだけど、どうなんだか。

ぼくのともだち (白水Uブックス 184 海外小説の誘惑)
エマニュエル ボーヴ 渋谷 豊
4560071845

万人におすすめできるというわけではないけど、わたしはかなり好きだ。


3日(金)

今日は休みだけど、天気がよろしくないので、ウチでおとなしく仕事することにしたはずなのに、遊んでばかりで進まない。こないだの金沢行きのことを書いたら収拾がつかなくなったが、もういいや、と上げてしまう。(→「ピタゴラス、巨大仏、そして諦めるまで――春の18きっぷ旅 加州編(前)」) だらだら書いたので、3部に分けることになる。つくづく自分には短くまとめる能力がないのだなと思う。


4日(土)

金沢は好きなのに、わたしが書くとどういうわけだか旅情が皆無になる。(→「諦めてのち、バンカラ、かわいさ、そして天狗――春の18きっぷ旅 加州編(中)」


5日(日)

もう、ホントごめんなさい、金沢、そして鏡花。冒瀆しているような気になるな。 (→「腹減りすぎてロクなことなし、そして巨大仏ふたたび――春の18きっぷ旅 加州編(後)」


6日(月)

 今日しか花見の機会がなかったので、雨降りだけど行ってきた。


やっと車窓越しでない、ナマ白鷺城。青空のもとなら、さらにこの白さが映えたことだろうな。

散りはじめた桜は、それでも綺麗だった。








7日(火)

本日、帰りの電車内でわたしのとなりに立っていたカップルが「『熊』って音読みあるんかなー?」「えー、くまぁ?うーん」「なんやろなー?」「ないんかなー」「どーかなー」といちゃいちゃしていたので、危うく「『ユウ』ですよ」と介入しそうになったが、すんでのところで公序良俗回路が発動し、事なきを得た。ちなみに介入しようかどうしようか逡巡している間に、話題はどこやらのテーマパーク(USJ?)の「進撃の巨人」アトラクションの話に移行していた。


8日(水)

お伊勢参りに行ってきた。前日の予報では「曇りのち晴れ」だったので安心してうちを出たのだが、ずーーっと降ってた。それも傘がいるかいらないかぎりぎりの、いちばん鬱陶しい雨が。金沢以外の18きっぷ旅は、すべて雨。日頃の行いはそんなには悪くないと思うのだけど、悪いのか?

伊勢うどん(おやつ)。




9日(木)

職場ではラジオがつけっぱなしになっているのだけど、本日、その時間と場所と出来事を考えると、どうやらわたしのことらしき内容の投稿が読まれていたのでびっくりした。いや、悪いことしたんじゃないですよ。「どなたかは存じませんが、この場をお借りしてお礼を」的なやつ。うーん、なんでこのところ旅に出ると雨ばかりなのか、ますます解せんのである。